映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒット「Queen」の知られざる“親日家伝説”

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初来日の熱狂

――そして翌75年にクイーンは初来日する。

東郷:いきなり日本武道館でのライブでした。業界ではまだ、演奏できるのか?、武道館埋まるのか?と懐疑的な声が多かったんです。まだ成田空港がない時代、羽田空港をのぞきに行くとそこには2千人もの女性ファンが彼らを待っていたんです。一番驚いたのはクイーンの4人だったと思いますよ。降り立った途端、東洋の小さい女の子たちに飛びかかられて、服は掴まれるわ、髪は引っ張られるわ。後にブライアンが「違う惑星に来たのかと思った」と話していました。天文学者でもある彼らしい感想ですが、彼らだってこんな歓迎を受けたのは初めてだったんです。武道館のライブも凄まじかった。泣き叫び、失神する女性が続出。ステージまでファンが殺到し、ステージ前で写真を撮っていたうちのカメラマンは後ろから押し倒されてカメラもメガネもバラバラになったほどです。この時、フレディはライブを一時中断して「みんなクールに!」と呼びかけていました。これで驚いたのが音楽業界です。日本だけでなく、本国イギリスでも、ビートルズ以来の騒動だったらしい、と。クイーンが逆輸入と言われるのはこういう経緯からです。

――そこから親日家に?

東郷:誰も認めてくれなかったのに、熱烈な歓迎を受ければ誰だってそうなるでしょう。それに日本の女の子は、手造りの人形を恥じらいながら手渡したりするでしょう。ブライアンが喜びながらも、「どうして日本人はこんなに物をくれるんだろう?」と不思議がっていたことがあります。日本人は好きな人に贈り物をするの!って言っておきましたけど。また、フレディは、イギリスでは人種差別的な扱いを受けていたそうなんです。彼はみんなに愛されたい人だったと思います。愛されるためなら、ステージでも何だってやる。そんな彼を最初に愛してくれたのが日本人なんです。

――印象深い思い出は?

東郷:そうですね、85年の最後の日本公演の時です。MTV全盛の時代で、フレディは最初で最後のソロアルバム「Mr.バッド・ガイ」を出したばかりで、そのミュージックビデオを私たちに見せたくて仕方がなかった。ホテルの部屋で、「見たいよね!」って言われたら断れないですよね。もちろん私は見たいんですが、すでにビデオはセットしてありました。見終えると「もう一度、見たくない?」って、計4回見せられました。4回目は途中で一時停止にして「ねえ、ここのボク、すごくゴージャスじゃない?」って。可愛い人だなあって思いました。フレディだけでなく彼らはみんな、海外でも私たちの取材を断らなかった。いつも日本からの取材ならウェルカムでした。

――親日の象徴の曲として「手をとりあって- Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」が挙げられることが多い。

東郷:そうですね。あの曲は5枚目のアルバム「華麗なるレース」に収められていますが、完全に日本への親愛を示した曲です。ワンフレーズですが、日本語で“テヲトリアッテ”と歌っています。来日の時に日本人通訳につきっきりで、訳してもらっていました。この曲は、東日本大震災の時、日本の復興支援のために作られたチャリティーアルバム「ソングス・フォー・ジャパン」にも収められました。この時にはブライアンとロジャーからお見舞いのメッセージも届きました。フレディは亡くなってしまいましたが、彼らはいまも日本を気にかけてくれています。

――クイーンの映画がヒットしていることについて思うことは。

東郷:事実と違うなんて声もありますが、彼らの本質はきっちり描かれています。日本のことがちょっとしか出てこないのが、残念ではありますが、考えてみれば、来日時の熱狂のためだけに撮影隊が揃って来日する予算もなかったでしょう。もっともっと若い人にも、本物のスーパースターがどういう存在かを見て貰いたいですね。

週刊新潮WEB取材班

2018年12月3日掲載

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