王者「日テレ」は守りに入って視聴率に異変 凋落のフジテレビと酷似で危機到来か

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時代とのズレ!?

 フジが7年連続3冠王の座を明け渡した2011年。東日本大震災が発生し、人々は絆を重視し始めた。「楽しくなければテレビじゃない」の娯楽第一主義の終わりを予見させた出来事だった。そして家族一緒に見るバラエティを得意とした日テレが、視聴率を安定的にとり、独走態勢が出来上がった。
 
 しかし同局のピークは15年頃で、その後は徐々に視聴率を下げ始めた。最も顕著なのは全日帯。2位のテレ朝との差が次第になくなってきたのである。

 この15年、朝の情報番組「スッキリ」に象徴的な出来事があったと筆者はみる。テリー伊藤(68)が全曜日のコメンテイターから降板した件だ。これについては諸説があったが、「テレビに毒は要らなくなった」という同局幹部の発言が一番大きいと言われている。

 ところがその後、例えばテレ朝「モーニングショー」は、長嶋一茂(52)・石原良純(56)・玉川徹(55)などの毒舌で数字を上げていった。フジの「バイキング」も、MC坂上忍(51)の本音トークで活気づいている。

 テレビ番組の醍醐味はハプニングだ。予定調和が崩れた瞬間に、出演者の感情や人間性が垣間見られ、単なる理屈でない面白さがある。ところがハプニングにはコンプライアンス上のリスクが伴う。舌禍事件や炎上騒動の危険もある。しかし、これを恐れすぎると番組がつまらなくなる。

 この2~3年、同時多発的に同局の番組が数字を下げ始めているのは、多くのプロデューサーが守りの姿勢になり始めていたからなのではないだろうか。

「イッテQ」問題は象徴的

 この流れで考えると、「イッテQ」のデッチ上げ騒動には、守りの姿勢から来る“2つのミス”が考えられる。

 1つ目は、「数字をとり続けなければ…」という焦りからくる判断ミス。同番組は90年代に花開かせたドキュメントバラエティの流れを汲み、挑戦が失敗してもそのまま出すリアリティが売りだった。

 であるなら今回のラオス「橋祭り」も、どこまでが事実でどこからが演出かを見せながら、エンターテインメントの部分をガチで見せていたら問題はなかった。前提を暴露したからといって、面白さは劇的には下がらない。

 ちなみに同祭りが放送された5月20日の視聴率は19.2%。平均以上に高く、ここに事実の説明が事前にあっても、そのコーナーの面白さで遜色のない数字はとれていただろう。

 2つ目は、事件発覚後の対応ミス。文春砲を受けて、「誤解を招く表現があった」と一部謝罪しながらも、“やらせ”を早々に否定してしまった。視聴率トップの番組を守る、さらには民放連会長になったばかりの大久保好男社長(68)を守るという意識が、詳細な検証なきまま先走りさせてしまったのではないだろうか。

 ところがその後、疑惑を全面的に認めることになってしまった。大久保好男社長も定例記者会見で頭を下げる羽目に陥った。今や企業の危機管理では、“初動は最も大切”というのが常識だ。長く独走を続けて来た同局は、ここでも時代とのズレを生じさせていると言わざるを得ない。

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