FAの目玉「丸佳浩」が望む長期契約 日本では止めたほうがいいと言われる理由

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日本プロ野球で最長の契約年数は8年

 それでは、日本プロ野球の歴史上、チームと長期契約を結んだ選手には、どんな名前が挙げられるのだろうか。主な選手を表にしてみた。

 チーム側の狙いは明白だ。基本的にはFAの行使を阻止するためか、FAの権利を行使しなかったことに対して「引退までいてください」と感謝を捧げたものに大別される。

 しかし気になるのは、この表に登場する選手は悲劇に見舞われたり、晩節を汚したりしたケースが少なくないことだ。

 例えば1位の趙成珉(故人:1973〜2013)の場合、入団2年目の前半戦で7勝と才能が開花。152キロの速球と、完封3試合という熱投型に「コリアンエクスプレス」の愛称で人気を呼んだ。

 それがオールスターで右肘を故障すると、一気に低迷。02年のオフに1年の契約を残して自主退団。母国の韓国プロ野球に転進しようとするが、全ての球団から敬遠され、マウンドに復帰を果たしたのは05年。2年後のオフに自由契約となり、引退する。

 その後は解説者やコーチとして韓国球界にとどまったが、13年にソウル市内のマンションで交際女性の自宅で首を吊って自殺していたのが発見された。享年39。

 2位の松中信彦(44)も10年に膝や左手首の故障が重なり、規定打数に未達となった。打率2割3分5厘、ホームラン11本の結果に、年俸4億円から2億円減となる2億円で更改。野球協約の減額制限(1億円超は40%以内)を超える50%の大幅ダウン。当時のスポーツ紙は「同一球団での契約更改では史上最大の減額幅」と報じた。

 さらに12年も規定打数に達せず、打率2割2分1厘、4本塁打。年俸2億円から1億3000万円減となる7000万円プラス出来高払いでサイン。減俸率は65%に達した。

 これでも終わらない。翌13年は50%減の3500万円だったほか、シーズン中に当時の秋山幸二監督(56)の起用法に異議を唱え、交流戦優勝のセレモニーを欠席。2軍降格を命じられるというトラブルを引き起こした。結果、16年に引退を表明した。

 他にも井端弘和(43)が13年11月、中日から1億9000万円から88%の大幅ダウンとなる2300万円を提示されて退団。巨人に移籍した。

 選手としては活躍を続けた古田敦也(53)も、06年に監督兼捕手としてチームの指揮を執ったが、順位は3位。選手としても36試合に出場にとどまり、当時のプロ野球史上最大減俸幅となる1億8000万円減(75%減)の6000万円で契約を更改。翌07年に引退を表明した。

 現役組の場合、鳴り物入りで日ハムからFAで移籍した陽岱鋼(31)が、巨人1年目に低迷したのは記憶に新しい。また鳥谷敬(37)も、16年から18年まで監督を務めた金本知憲(50)との“冷戦”が注目された。

 期待に応えた例もある。やはりFAで巨人へ移籍した清原和博(51)は、西武時代の輝きは失いながらも、5年契約の最終年(01年)、打率2割9分8厘、29本塁打、121打点と活躍、オフには来シーズンからの4年契約を結んだ。

 複数年契約を結んだ多くの選手たちとは異なり、丸が6年契約という条件でロッテを選び、その間に広島を超える数字を残し、引退後は監督に就任するという「バラ色の未来」も充分に可能性がある。

 しかしながら、あくまでも前例から占うのであれば、長期契約の吉凶は「凶」のケースが圧倒的に多い。ならば丸は、古巣の広島に戻るのが、最も幸せな野球生活を送ることができるということになるのだが――。

2018年11月26日掲載

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