野球部員を殴る蹴る「暴行」と星野監督の「鉄拳」の違いとは

スポーツ 野球 2018年11月16日掲載

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監督のハイキック

 名古屋市内にある高校の野球部の監督が選手らに暴行を働いていたことが発覚し、大きな問題となっている。スマホの使用を巡り、腹を立ててのことだというが、第三者が撮影した映像に、あまりにクリアに監督のハイキックやパンチが映っていたこともあり、騒ぎは大きくなっている。

「熱血指導」は許されても、殴る蹴るはご法度なのは今や当然のことながら、ほんの少し前まで野球界でも「鉄拳制裁」が珍しくなかった、というのもまた野球ファンなら誰でも知っていることだろう。

 代表例は、故・星野仙一氏だ。星野氏は言うまでもなく中日ドラゴンズの大エースであり、監督として中日の他、阪神タイガースでもリーグ優勝、楽天イーグルスでは日本シリーズも制覇した名将。ただし、一方でその鉄拳制裁は有名だった。ノンフィクション作家、黒井克行氏の著書『指導者の条件』から、その凄まじいエピソードを見てみよう(以下、引用は同書より)

鉄拳制裁の時代

 1986年、39歳の若さで星野氏は中日の監督に就任する。「燃える男」として巨人に向けていたファイティングポーズは、自軍の選手にも向けられ、鉄拳制裁で管理するようになる。

「逃げるピッチングでもしようものならばピッチャーは容赦されなかった。同様にキャッチャーにも鉄拳が飛び交う。後年、数々のピッチャーの最年長記録を打ち立てた山本昌もその一人だ。不甲斐ないピッチングでベンチに戻るや殴打の嵐を浴びて顔面を腫らし、『この状態で客前には出せぬ』と降板させられた。キャッチャー中村武志はマスクを被ればわからないとそのまま試合に出たが、殴られて変形した顔面をマスクに押し込むのが大変だったという」

 黒井氏はこうした鉄拳制裁を、このように分析する。

「星野は好き好んで手を上げるわけではない。それは期待と情の裏返しでもあり、結果、選手たちは拳に対してプレーで応えようとした。

 星野の怒りの矛先は失敗に対してではない。たとえ打たれてもアウトになってもやるべきことをやり、真正面からぶつかっていった結果ならばよしとした。理不尽ではなく、すべてに理由があった」

 さらに、感情を露わにするパフォーマンスには星野氏なりの計算もあり、実際には並外れた気配りの人でもあった、という。

「たとえば、監督に初就任するや選手や球団関係者、その夫人にいたるまで誕生日を調べ上げ、花束とバースデーカードを用意した。受け取った夫人は『監督さんのために頑張れ』と亭主の尻を叩く。ある裏方さんの長男の中学入学時には万年筆とボールペンのセットが届けられた。裏方さんは、星野に忠誠を誓った。

 88年にリーグ優勝をした時には、関係者の全家族を招いて感謝のホームパーティを開き、報奨としては選手ほど恵まれない裏方さん全員にゴルフセットをプレゼントしている」

楽天を日本一に

 星野氏の信念は「人間、カネじゃない。何事も情熱を注入してやらんといかんのだ」というものだった。鉄拳もまた情熱のあらわれだったのは間違いない。

 もっとも、さすがに時代を考えて、楽天の監督に就任してからは「今の子たちは委縮しちゃうから」と以前のような拳はなりを潜めていったという。

「2013年、星野は楽天で3年目のシーズンを迎えた。球団創設以来、8年でBクラス7回、うち最下位3回。2年前に起きた震災で本拠地を取り巻く地元東北に明るい話題はない。『弱いチームを強く育てるのがオレのロマン』と明るく口にする一方、一個人のロマンだけでは済まされないと腹も括っていた。前半戦好調だった選手たちに対して、星野は球場の駐車場で待機して一人一人に声をかけた。

『馬力のある車に乗ってるなあ、試合でも馬力を出してくれよ』『ミルク代を稼ぐのは大変だろう』等々、選手たちは『あの星野が?』と驚きと緊張と最後は照れ笑いでその場を過ごし、そこまでする星野の心配りにほだされた」

 この年、楽天は見事日本一に輝いたのはご存知の通り。今も星野氏の指導を懐かしむ声は少なくない。

 もしも星野氏がご存命だったら、ただ感情に任せて子供たちを殴ったり蹴ったりする「指導」をどう見ただろうか。

デイリー新潮編集部