十朱幸代が“暴露”を始めた「故・西城秀樹」との仲 自叙伝に綴った破局の真相

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2人着物姿で電車に

 先の記者が、その後を語る。

「秀樹が十朱の家に泊まり込んでいたと報じた『フォーカス』に、秀樹は“真剣に愛しています”、十朱は“西城さんとはフィーリングが合うの”とコメントを寄せたほどで、堂々たる交際ぶりでした。89年秋にはハワイへの婚前旅行を計画しますが、事前に乗る飛行機や泊まるホテルがバレたうえ、ワイドショーのレポーターがハワイに先乗りする騒ぎになって断念。ただ、翌年3月にはアメリカ西海岸への逃避行に成功し、10日間ほど、水入らずの時間を過ごしています」

 このことにも、十朱は自伝で触れている。

〈マスコミからの逃避のために海外に出かけたこともありました。

 1回目は失敗です。(中略)その次にトライしたときには、なんとか成功しました。以降、行き先はロサンゼルスとか、ハワイとか。彼がスキューバダイビングやゴルフをするので、私も教えてもらい、一緒に楽しみました〉

 このときのエピソードを、秀樹の往年の友人は、

「ロスから飛行機で成田空港に帰ってきたとき、当然、マスコミが張っていますから、事務所は“2人別々に出てきたほうがいい”と指示したそうなんです。でも、秀樹は“そんなのいいよ”と言って、2人一緒に出てきたんです。彼は豪快でオープンな人間でしたね」

 そう語って、こんな逸話も付け足してくれる。

「90年1月、十朱さんは芸術座の正月公演に出演していて、ある日、大雪で車が出せなくなった。そうしたら十朱さんは、秀樹と電車で芸術座に向かったんです。事務所から“くれぐれも目立たないように”と言われていたのに、2人は着物で電車に乗ったので、大騒ぎになったそうです」

 秀樹の十朱評も。

「“これまで付き合った若い子とくらべて、大人の話ができるし、仕事の相談もできる。キャパシティが大きいから、一緒にいてラクなんだ”と、秀樹に聞かされたのを覚えています」

(2)へつづく

週刊新潮 2018年11月15日号掲載

特集「弔辞代わりに暴露本という『十朱幸代』の『西城秀樹』野辺送り」より

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