【特別対談】「アフリカ」を通して見える「日本」と「世界」:白戸圭一vs.篠田英朗(1)

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白戸圭一:アフリカをテーマにこうした対談をやる時、直面する問題があります。それは、世界の他の地域と比べると、アフリカに対する日本人の関心がものすごく低いということです。

 単に関心が低いだけではなく、経済的な結びつきも非常に弱い。世界全体のGDP(国内総生産)に貢献しているアフリカのGDPの割合も、せいぜい2~3%ですし、日本との貿易も本当に微々たるものです。

篠田英朗:その通りですね。

白戸:このように日本との結びつきも弱く、日本人の関心も低いということで、アフリカの個別の国の政治情勢に対する関心など持っている日本人は極めて少ない。

 そうすると、対アフリカ外交なども大して真剣にならなくてもいいのではないか、といった意見も出てくる。そろそろ日本もアフリカから手を引くべきだとか、わざわざ南スーダンのPKO(国連平和維持活動)部隊に自衛隊を派遣する必要などないとか、あるいは企業も、アフリカで商売するために四苦八苦する必要もないという意見が必ず出てくる。これらの意見について、僕は一考に値するとは思っています。

 しかしそうは言っても、例えば外交で言えば、日本は1993年からずっとTICAD(アフリカ開発会議)という枠組みを通じてアフリカとつき合い続けていて、今も安倍晋三政権が中国との関係改善を進める中で、アフリカも有力なビジネスの舞台として、日中で一緒にインフラを建設するような協力ができないか、といったことを進めている。企業にしても、大手や中小関係なく、何とかアフリカに出て行けないか、と考えているところが多い。結局、アフリカとの関係を完全に切ろうと思っても、なかなか切れないのが現状なのです。

 そこでまず単刀直入におうかがいしたいのですが、篠田さんは日本政府、あるいは日本人がアフリカとつき合う意味はあると思いますか。

日本外交「3つの柱」

篠田:日本外交には3つの柱があることになっています。まずは、日米同盟を基軸とする同盟関係、自由主義諸国との連携ですね。それから、いろいろ複雑な形で戦争の記憶を共有しているアジア諸国、近隣諸国との関係の強化。

白戸:対中国、対韓国、対東南アジア関係ということですね。

篠田:そして3番目に、外務省の人たちが「マルチ」と呼ぶ、多国間外交とか国連中心主義とか言われる外交です。そして、外務省が重要と考える序列もこの通りです。省内の力関係を見ても、北米1課が一番強く、次に強い地域課はアジア関係。何となく気のきいたことを言っているマルチ、例えば総合外交政策局の人たちなどは、あえて言えば3番目なんです。実はODA(政府開発援助)なども、全体としてはマルチです。個別案件は現地大使館や地域課が主導することが多いですが。

 こうした序列から言うと、アフリカの問題がナンバーワンになることはない。しかし3つの柱が本当だとすると、政府は国連を中心にした多国間外交も維持したい。その際にアフリカを除外して展開することは基本的に不可能です。どの国もアフリカを主要な対象にして、いいことも悪いこともやっているわけですね。日本が多国間外交を充実させて3つの柱にしていますと言いながら、アフリカだけを切り離してしまったら、そんなのやってないのと同じだ、と言われてしまう。

白戸:国の数では、アフリカは世界の4分の1を占めますからね。

篠田:そうなんです。

 多国間外交のようなややこしいことをするくらいなら、日本外交の柱は2本柱でいいじゃないか、という考えも当然出てくるわけで、実は柱は3本なのか2本なのかという大きな問題があるんですね。

 これまで曲がりなりにも3本だと言ってきた理由は、安全保障上の利益の核心である日米同盟と、近隣の人たちとケンカばかりしていたら生きていけないだろうという実直な思いがあり、さらに、やはり外交が末広がりに広がっていかないと、日本の外交政策が非常に狭いものになってしまう、という考え方とかがありました。

 例えばヨーロッパ諸国ならEU(欧州連合)、NATO(北大西洋条約機構)、OSCE(欧州安全保障協力機構)など無数の地域機構があり、アフリカならAU(アフリカ連合)及びその他の準地域機構があって、東南アジア諸国でもASEAN(東南アジア諸国連合)があります。ところが北東アジアには地域機構がない。

 日本にとっては、本当にまじめにオペレーションを行っている、唯一の国際機関が国連なんです。ここで日本が国連からのけ者にされたら、本当にアメリカにくっついていくだけの国になってしまいます。だからいろんな担保をかけるという意味でも、視野を広げるという意味でも、人的ネットワークを作るという意味でも国連を中心にした多国間外交は捨てられない。

 先にお話ししたように、2本柱だけでいいではないかという声が上がってきた時に、でも2本だと寂しいから、もう1本どこかにほしいという気持ちになる。この相反する気持ちが、日本外交の本音だと思うんです。

 そしてアフリカは、そうした微妙な位置にある3本柱の3番目に関わってきているということなのです。だから、意外にも捨て去ることはできない。

白戸:なかなか捨てられない。

篠田:なぜなら、国連を中心とする国際機関が主戦場とし、それぞれがその存在価値を認められようとしている場所がアフリカだからです。もし、アフリカで「国連はいらない」と言われてしまったら、国連はどこで活躍すればいいのかというぐらいに国連にとっては重要な場所ですから、日本もそのことをストレートに認識する必要はあると思います。

「常任理事国」入りの「蹉跌」

篠田:もう少し具体的に言うと、現在JICA(国際協力機構)の理事長をされている北岡伸一先生(東京大学名誉教授)は国際政治学者で、われわれの大先輩なのですが、2004年から2006年にかけて国連代表部の次席大使をされていました。そして当時の日本は、かなり本気で常任理事国の座を取りに行っていた。

白戸:そうでしたね。私は当時、『毎日新聞』記者としてアフリカに駐在していましたが、この常任理事国狙いの件では、初めて東京本社から取材の命令が来ました。アフリカにいる記者に東京本社の偉い人から命令が来るなんてことは普通ないですが、それがあった。そういう機会でしたよ。

篠田:今にして思うと、当時は今よりも盛り上がっていた。TICADでもアフリカ向けの援助を増やそうとしていました。われわれは経済大国で、実は常任理事国も狙っている、だからアフリカ行かないでどうするのだ、というのが正論でもありました。

 そんな時代に、北岡先生が常任理事国入りの案件を担当するような形で、次席大使として国連に入った。中公新書でそのときの体験記を本にされていますが(北岡伸一『国連の政治力学―日本はどこにいるのか』)、結局なぜ常任理事国を取れなかったのか、いろんな言い方があって……。

白戸:短いバージョンで言えば。

篠田:一言で言えば、北岡先生の総括は、アフリカの票が取れなかったことだ、と。

白戸:そうでしたね。間近で見ていてよくわかりました。中国に全部ひっくり返された。

篠田:アフリカの票が取れなかったことがわかった瞬間、国連安全保障理事会の改革はなくなり、日本の常任理事国入りもなくなった。

 もしアフリカ諸国がそれなりにまとまった形で、あるいはAUのコンセンサスとして、安保理改革の具体案はこれでいいじゃないかと言い出していたら、どうなっていたかわからなかった。ところがアフリカの票が取れなかったその瞬間、常任理事国になれないことが決定したわけです。

 この結果が何を意味するのか。人によっては、ますますアフリカと仲よくしなきゃいけないことがわかった、と言う。われわれはそう総括しますよね。一方では、あんなにODAのお金を使っても、日本にそんなに冷たいならもう撤退するぞ、と言い出す人が出てくる。

 ではどうすればいいのか。いまだにわからないところがある。3本柱の序列3位のからみで出てくるアフリカの位置づけの難しさです。当時と比べて日本が常任理事国になる可能性もだいぶ減りました。それでまた位置づけが難しくなっているところもあるかもしれません。

白戸:こういうことがあると、じゃあ日本はアフリカとつき合うのをやめようと喉元まで出かかりますが、それもなかなか言えない。

 と言うのも、冷戦構造が最後まで残っている東アジアには、アフリカで言えばAU、欧州で言えばEUのような地域機構というもの存在しないからです。ヨーロッパにはもちろんあるし、アフリカの国や米州大陸ですらあるような地域機構が存在していません。だから日本の場合、日米同盟以外の外交というと、国連を舞台にしたマルチ外交しかないという状況になっています。

 そうした中で国連外交を進めようとすると、相手はアフリカしかない。マルチの国連外交を捨て去ってしまうと、日米同盟しか残らない。ところが米国では、ドナルド・トランプのような人が大統領になることもあるわけです。そんな米国だけにぶら下がっているのは日本にとって極めてリスキーなので、そのリスクヘッジという意味での多国間外交はありだと思います。

中国の存在感

白戸:もう1つ、日本の一般的なビジネスマンや普通の市民のアフリカに対する認識を変えたきっかけとして、アフリカにおける中国のプレゼンスの拡大という現実があると思います。先ほど2005年の安保理改革の話をしてくださいましたけれど、当時、私は新聞記者としてヨハネスブルグに駐在していて、国連におけるアフリカ諸国の票を、中国がオセロゲームのようにひっくり返すところを目の当たりにしました。当時の日本人の多くは気がついていなかったかもしれないけれど、私たちはこの時初めて、新しい時代が来ていると気づきました。

 つまり、1990年代の日本は世界1のODA供与国ですから、日本には金の力があった。だから、金をもってアフリカにアプローチすれば、彼らを動かせるかもしれないと思っていた面があった。しかし、現実にはそうではなかったことが、この時わかったのです。

 日本人は「金を出しても言うこときかないならアフリカから手を引くぞ」と言いたいかもしれません。20年前ならば、アフリカの国々は「日本が援助を引いたら困る」と言ったでしょう。しかし、今ならば、アフリカの国々は「どうぞ手を引いてください」と言い出すでしょうね。

 なぜなら、アフリカ開発の資金面の主役が、今では中国になっているからです。日本だけでなく、OECD(経済協力開発機構)のDAC(開発援助委員会)諸国、すなわち第2次世界大戦後の世界の開発の主役の座にあった国々ではなく、中国がアフリカ開発の主役の座にある。だから、仮に日本が「アフリカから手を引く」と言っても、極端に言えばアフリカの国は別に困らない状況になってしまっているわけです。

篠田:そうですね。

白戸:こうした状況には、日本人のナショナリズムを刺激するところがあるように思います。例えば、私が中国のアフリカにおけるプレゼンスの強さについて何かの記事を書くと、そんなに中国が頑張っているなら負けるわけにはいかない、という反応が何年か前までは結構ありました。「日本はもっとアフリカにコミットしろ」という、ナショナリズムに基づいた素朴な反応がありました。

 最近は、日本人の思考はそこからもう一歩先に進んでいると思います。まず、多くの日本人が、人口も中国と日本はあまりに違うし、アフリカに供給できる資金額も中国にはかなわないということを認めていると思います。

 しかし、先ほど篠田さんがおっしゃったように、日本政府としては、マルチ外交の柱を維持するために、アフリカにコミットしなければならない。だけどアフリカから「別に手を引きたければ引いてくださっていいですよ」と言われかねないぐらい、日本のアフリカとの貿易は少なく、援助も少なくなっている。おまけに少子高齢化で日本全体の国力が衰退している。そんな中で、どうやってマルチ外交の主戦場であるアフリカに対する外交を続けていくのかについて、真剣に知恵を絞らざるを得なくなっている。そうした状況の下で出てきているのが、「官から民へ」というキーワードです。政府による援助だけでなく、日本企業にアフリカにもっと投資してもらい、アフリカとの関係を強めようという考えです。

篠田:現状認識としては、そういう整理でいいでしょうね。(つづく)

白戸圭一
立命館大学国際関係学部教授。1970年生れ。立命館大学大学院国際関係研究科修士課程修了。毎日新聞社の外信部、政治部、ヨハネスブルク支局、北米総局(ワシントン)などで勤務した後、三井物産戦略研究所を経て2018年4月より現職。著書に『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、日本ジャーナリスト会議賞受賞)、『日本人のためのアフリカ入門』(ちくま新書)、『ボコ・ハラム イスラーム国を超えた「史上最悪」のテロ組織』(新潮社)など。京都大学アフリカ地域研究資料センター特任教授、三井物産戦略研究所客員研究員を兼任。

篠田英朗
東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程、ロンドン大学(LSE)国際関係学部博士課程修了。国際関係学博士(Ph.D.)。国際政治学、平和構築論が専門。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験を持つ。日本政府から派遣されて、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)で投票所責任者として勤務。ロンドン大学およびキール大学非常勤講師、広島大学平和科学研究センター助手、助教授、准教授を経て、2013年から現職。2007年より外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮。著書に『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築入門』、『ほんとうの憲法』(いずれもちくま新書)など多数。

Foresight 2018年11月12日掲載

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