疑惑の「片山さつき」大臣 37年前の仰天“伝説のクレーム電話”「なんで、私だけブスなのよ!」

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なんで、私だけブスなのよ!

 だが、それだけで満足するような女子大生ではなかった。彼女は、他の学生の写真も見せるよう要求してきたというのだ。先に紹介した通り、冒頭のページで取り上げた2人の写真は大きく、そして、なかなかの美人――。

「『なんで私だけこんなにブスなのよ!』と言い出したんです。なんでって言われてもねえ。でも『今までこんなに酷い写真に写ったことなどない。だから撮り直して欲しい』と。その後も編集部への電話攻撃は凄まじくて……。担当記者もさじを投げてしまったのですが、デスクは知らんぷり。とうとう編集長に直談判してましたけどね、さすがの編集長も頭を抱えていましたよ。そして掲載誌が売り出されると、今度は彼女の母親からも電話がかかってきて、『ウチの娘は小さい頃から可愛かったのに、これは酷すぎる。訂正してくれ』と。いったいどんな母娘なんだ、と編集部でも話題になりました」(同・担当編集者)

 朝日新聞のいう“物おじしない性格”は国会議員になってからではなかったのだ。

 実際、安田講堂前で撮ったと思しき彼女は、前髪は目に被さって、なんだか暗い表情である。ご不満は分からぬでもない。

 なにせ「ミス東大」である。そのプライドが許さなかったようなのだ。

 ちなみに片山大臣は何代目のミス東大なのかと調べると、実際、ミス東大のコンテストが初めて開催されたのは、1997年だという。彼女の卒業後15年も経ってからのことだ。

 だから、「FOCUS」の記事にも「ミス東大」という単語は出てこない。彼女を初めて取り上げたという女性ファッション誌「non-no」(82年1月号)のタイトルは「憧れとやっかみのまなざしを込めて 見参!東京大学 No.1かわいいあの娘 朝長さつきさん」と紹介している。

 その後も、「ミス大蔵省を口説いて入籍すませ 東大名物助教授『頭の回転』と『手の早さ』」(「FRIDAY」86年11月21日号)といった、前夫の舛添要一氏(69)との結婚が報じられた際も、「ミス大蔵省」である。では、いつから「ミス東大」となったのか。

「小泉チルドレンとして選挙に出た頃からかもしれませんね。記者たちにとっても便利なキーワードだったんでしょう。それを本人も否定しないから、今の今まで使われているんじゃないでしょうか」(政治部記者)

 自分に都合がよければ、事実でなくとも否定はしないというわけか。

週刊新潮WEB取材班

2018年11月1日掲載

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