学校通信に“うちの子は載せないで” やり過ぎ「個人情報保護」の危険性

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孤独死の増加も

「信教や思想信条、疾病情報、銀行口座の預金残高などは、他人に容易に知られてはまずい個人情報。ですが、氏名や住所といったレベルの情報は、プライバシーとはいえない。むしろ公共財として幅広く流通させたほうが、社会のためになる。ところが、全部がごっちゃに扱われているのが最大の問題です。最近は、地域住民に必要な情報すら開示されません」

『情報化時代のプライバシー研究』の著者、学術博士で元国際大学教授の青柳武彦氏は、そう指摘する。

 都内の霊園に聞いても、

「お墓の場所は、基本的にはご親族以外にはお知らせしません。また、どなたにも知らせたくないという方もいらっしゃいます」

 個人ばかりか、故人情報にも敏感なのだ。こうも病的では、いずれしっぺ返しを食らうのではないか。災害危機管理アドバイザーの和田隆昌氏は、

「私が住んでいた港区の賃貸マンションなど、どの世帯もネームプレートに名前を書かず、災害時に、要支援者がいても助けられません。ただでさえ希薄な人間関係が、個人情報保護法によって、いっそう希薄になった感があります」

 と指摘。青柳氏も、

「個人情報の保護に比例して、地域の人間関係がどんどん希薄になっている。災害時に必要な救助ができないのはもちろん、孤独死の増加も、この状況と無縁ではないと思います」

 言うまでもなく、人は一人では生きられない。過ぎたる個人情報保護によって、日本の美徳でもあった絆を自ら断ち切れば、小さな個人など、大波のうねりの前にひとたまりもない。

週刊新潮 2018年10月18日号掲載

特集「過ぎたるは及ばざるがごとし」より

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