“ルール作りが目的”の日本 息が詰まる「コンプライアンス社会」

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 明治維新から150年、東洋の島国は、文明開化の名の下に欧米の概念を輸入し、独自の解釈を加え発展を遂げてきた。翻って昨今の「コンプライアンス社会」である。カタカナを訳せば「法令遵守」となるが、現場から聞こえてくるのはこんな声。もう息が詰まるよ!

 製造業に従事する大手メーカーの社員はこう嘆く。

「うちの会社では、コンプラの観点から情報漏洩を防ぐため、USBメモリーなど外部に情報を持ち出せる機器を使うことが禁止されています。特に困るのは出張の時で、専用のノートPCを借りるために申請を出してから届くまでに半日。そのPCに自分のデータを取り込む作業に数十分かかる。台数も不足していて、他部署に借りに行く場合もあり……。このままでは、急な出張が入っても、現場に直行できません」

 そのため、著しく業務が停滞していると言うのだが、ある大手ゼネコンの社員も、

「わが社にはコンプライアンス専門の部署があるのですが、担当社員が何十人もいて暇なのか、しょっちゅう規則を変更しては社内勉強会を開くんです。上司から出席するよう厳命されるけど、内容はほとんど同じ。その時間を顧客に割いた方が、よっぽど会社の利益になるよと考えてしまい、肝心の研修も上の空ですよ」

 本業が疎かになっては本末転倒だが、そんな現場の悲鳴が鬱積すると、社会的な騒動に発展してしまう。

 それを象徴する事件が、ちょうど1年前に起きた神戸製鋼の品質改竄問題だ。

「顧客が必要とする品質よりずっと厳しい基準を設定した結果、現場では、どうせ守れないから破ってもいいと判断されてしまい、不正が生まれたのだと思います」

 とは、京都大学客員准教授の瀧本哲史氏だ。

「海外では目的にあった合理的なルールを作り徹底的に遵守します。ところが、日本ではルール作りが目的化し、過剰なルールが歓迎される傾向がある。実際、コンプライアンスを生業にする弁護士やコンサル会社は、長文で複雑な方が顧客に喜ばれ儲かるという話を聞いたことがあります。これだけ日本でコンプライアンスが叫ばれても、自動車メーカーの燃費偽装や東芝の不適切会計のような大規模な不正がなくならないのは、欧米ではあたり前の倫理教育が不足していることも挙げられます」

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