データで読み解く「27時間テレビ」がオワコンといわれる理由 フジのピンチは続く?

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地域差も大きくない

 こうした見られ方は、実は東京に限ったことではない。Media Gaugeは47都道府県の全ての放送エリアでの接触率が出てくる。しかも視聴率が測定されていない宮崎県でも、約4000台のテレビのログから全数調査として1分毎の接触率を見ることが出来る。(図3)

 これで東京と地方の27時間テレビの見られ方を比較すると、民放が2局しかない宮崎県では、番組平均は東京の2倍以上となった。また3局の秋田県は東京の約1.6倍、4局の広島県は約1.3倍となった。

 このように数字の多寡は、ライバル局の数により変動するが、問題は急落ポイントだ。東京で4%と最も急落幅の大きかった日曜よる7時台前半は、秋田で5%、広島で7%、宮崎でも5%急落していた。東京か地方か関係なく、視聴者の反応はやはり同じだったのである。

長時間特番の存在意義

 最後に両番組の差を決定づけるようなデータを紹介しておこう。Google Trendsによる過去5年の両番組の検索量だ。(図4)

 17年の24時間テレビでの検索発生量を100とした場合、他の4年は50前後で大きな差はない。実は17年は40回目の記念すべき年で、日テレも特に力を入れた回だった。その投入した熱量通り、視聴者も大いに反応し、視聴率も18.6%と歴代2位をマークした。

 一方27時間テレビは、14年・15年は40・39と日テレと大差はなかった。ところが16年は16と3分の1。そして大幅リニューアルした17年は10と、10分の1に沈んだ。さらに今年は6に留まり、14~15年当時の27時間テレビと比べても7分の1程度になってしまった。

 今年のツィートでも、以下のような発言が出るほど存在感が薄くなっている。

「27時間テレビ、びびるほど存在忘れてた」

「やってたことすら知らない」

「一回でもTwitterのトレンド入りした? してないよね? もうオワコンだよね?」

 生放送を辞めたのなら、もはやお祭りではない。事前収録で20近い番組を並べるのなら、27時間を一挙に放送する必然性はない。物理的に全部をリアルタイムで見られなる視聴者は一人もいない。現実に録画のために、右往左往した視聴者も少なくなかった。

「にほんの食」から、日本の暮らし・文化・ロマンに迫る面白くてためになる番組が目的だったのなら、最も多くの人が見られる夜帯に、1日3~4時間・一週間連続で放送すれば、全てをライブで見られる視聴者はかなりの数にのぼっただろう。しかもこの方式なら、一部を生放送とし、お祭り感も醸成できる。話題性もはるかに出て、結果として視聴率も平均2桁となっただろう。

 恐ろしいことに、1年に1回だけ局を挙げた大特番で、制作ノウハウの稚拙さや、視聴者の生理への鈍感さが露呈している。

 こうしたセンスを改めなければ、今や“振り向けばテレ東”状態のフジの再生はない。「視聴者の皆さんの期待に応えられるよう、編成・制作陣で検討している」と宮内社長はいうが、己も敵も知らないままでは百戦しても百敗続きだ。現実を直視すべきだろう。

メディア遊民(めでぃあゆうみん) メディアアナリスト。テレビ局で長年番組制作や経営戦略などに携わった後、独立して“テレビ×デジタル”の分野でコンサルティングなどを行っている。群れるのを嫌い、座右の銘は「Independent」。番組愛は人一倍強いが、既得権益にしがみつく姿勢は嫌い。

週刊新潮WEB取材班

2018年10月1日掲載

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