太宰治が愛した「銀座ルパン」 10月で90周年を迎える“最古”の文壇バー

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里見弴が挨拶状、直木三十五が宣伝文を執筆

 酒好きなら、銀座の「ルパン」というバーはご存じかもしれない。「いや、知らない」という人でも、作家の太宰治が椅子の上で胡座をかく写真は見たことがあるのではないか。日本有数の名物バーは10月3日、開店90周年を迎える。

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 そもそも開店から“文士”の応援を受けた。いわゆる“文壇バー”の歴史は当然だと言える。詳しくは公式サイトをご覧いただきたいが、一部を引用させてもらう。

《銀座・ルパンは、1928年(昭和3年)に開店致しました。 開店に当っては、里見弴・泉鏡花・菊池寛・久米正雄といった文豪の方々のご支援を頂きました。 そのお蔭で、永井荷風・直木三十五・武田麟太郎・川端康成・大佛次郎・林芙美子と言った文壇(略)の方々も常連でした》

 まさに「きら星の如く」だが、戦後は更に坂口安吾、太宰治、織田作之助といった“無頼派”も通った。写真家の故・林忠彦氏が店内で織田作之助を撮影していると、反対側に座る男が「俺も撮れよ、織田作ばっかり撮ってないで、俺も撮れよ」と執拗に要求。しかたなく林氏が撮影したのが、あの太宰治の写真だった。

 公式サイトは《60年代はサトウ・サンペイ・ 小松左京・星新一・後藤明生などの方々の顔が見られました》とあるが、銀座という土地柄、サラリーマンの客も多かった。新入社員からの常連客として知られたのは中山素平だ。

 1906(明治39)年生まれ。東京商科大学(現・一橋大学)から日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)に入行。61年に頭取に就任し、「財界の鞍馬天狗」の異名で知られた。若い頃はルパンの“社内旅行”————といっても海水浴だが————にも同行したほどだった。

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