「検察側の罪人」怪演で注目 「酒向芳」が役者として一本立ちは50歳の時

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市井の人間に潜む悪を表現

 木村拓哉、二宮和也、そして吉高由里子(30)というメインキャストと仕事を共にした経験はなかった。逆に松重豊(55)とは数十年来の付き合い。「同じ仕事をしていても、分野が違う」からだ。共演者に挨拶はしたが、雑談は意図的に避けた。重要参考人が検事や検察事務官と談笑するわけにはいかない。

 そして、いよいよ二宮和也と“対決”する場面の撮影が始まる。我々が劇場で度肝を抜かれた“演技合戦”の現場では、相当な緊張感が漲っていたという。

「僕と二宮さんだけでなく吉高さんもいらっしゃいました。ああいう緊張感のある現場は、僕は好きですね。あの雰囲気を作り上げてくれた監督、スタッフ、そして二宮さんと吉高さんには感謝をしています。どちらかと言えば、僕はスタッフや演者が談笑している現場は好きではありません。僕と二宮さんが必要以上に口を利かないのは当然ですが、二宮さんと吉高さんも雑談はしていなかったと記憶しています」

 実際の演技を振り返ってもらうと「監督の指導、スタッフのサポートも充分でしたが、やっぱり二宮さんのリードが良かったですね」と相手役に賛辞を送った。しかし、その次には意外な言葉が飛び出す。

「ただ、僕は二宮さんの演技に応えなければと考えて演じたわけではありません。抜擢してくれた原田監督に応えなければという想いもありません。僕は映画を見るのも、撮影現場に参加するのも大好きですが、カメラがあり、スタッフの皆さんが全ての準備を整えてくださっている。その状況に身を任せるだけで充分。僕は小栗康平(72)という映画監督から、そう教えられたんです」

 小栗康平は81年の「泥の河」(東映セントラルフィルム)や90年の「死の棘」(松竹)で知られる名匠。そして酒向は05年の「埋もれ木」(ファントム・フィルム)に出演を果たしたことがある。まだ40代の無名役者にとっては大チャンス。「やってやるぞ」と燃えていると、監督に注意された。

「小栗監督に見抜かれていたんですね。僕の肩には力が入り過ぎていた。あのまま演じていたら、臭い芝居をしていたでしょう。監督は『君は映画の一部だから』と仰ったんです。『この現場にある、撮影用の花とか、机とか、そこにある茶碗と一緒だ。そんなに頑張らなくていいんだよ』と教えてくださって、あれは自分の中でも大きな転機でした」

 酒向は、もう1つ大きな転機を経験している。2009年に舞台「ねずみ狩り」で、今のところ最初で最後の主役を演じたのだが、ドイツ人の演出家ペーター・ゲスナー(56)に「もっと自分に正直になりなさい」と助言されたのだ。

「あの時は50歳を超えていましたけれど、『僕は正直ではないのか?』と自問自答したんです。すると、『役を作る』という表現がありますが、僕自身が一般的な役作りに違和感を覚えていることに気づきました。いくら役者が役を練り上げたとしても、自分にとっては架空でしかない人物を演じるのであれば、結局のところ嘘だ。僕自身の中にあるリアルなものを、役の中に見つけなければ演じることはできない。それこそが本当の役作りだと思い知らされたんです」

「検察側の罪人」で演じた松倉重生は鬼畜そのものだ。俳優が“虚構”を見事に演じきったとの印象を持った観客は多いだろう。だが、実際は違ったのだ。

「松倉という役は非道で卑怯で、人間社会に受け入れられる男ではありません。それでも僕なんです。僕本人なんです。『じゃあ、酒向という役者は役作りも何もせず、素で演じたのか!?』と誤解されたら嬉しいですけれど、それも違う。僕らは平凡な日常生活を生きています。でも、ふとしたことがきっかけで、犯罪に手を染めてしまう人がいる。逆を言えば、犯罪者でも平凡な人が大半でしょう。僕らが心の中に持っている悪は、普通は表に出ません。でも僕は、それを出すのが仕事だから出しました。松倉の悪は特別なものではなく、僕らも等しく持っている悪。そういう考えで演じています」

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