「検察側の罪人」怪演で注目 「酒向芳」が役者として一本立ちは50歳の時
演劇で食えるようになったのは50歳
酒向は1958年11月、岐阜県に生まれた。演劇との出会いは小学校低学年の時。学校に劇団が訪れ、「にんじん」————だと酒向が記憶している作品————を上演した。それに強い感銘を受けたのだ。
「内容はさっぱり覚えていないんですが、主演の方がキラキラ光っていたんです。まだ残像が残っていますけれど、『何だ、これは!?』、『何だ、この人は!?』と仰天したんです」
この時に生まれた”種”は、松田優作（1949〜1989）や中村雅俊（67）が演じたテレビドラマに熱中することで開花していく。それは「太陽にほえろ！」（松田優作の出演は73〜74年）、「俺たちの勲章」（75年）、「俺たちの旅」（75〜76年）といった作品だ。いずれも日テレ系列なのは、50代以上ならご存じだろう。ちなみに松田・中村は文学座で先輩・後輩の関係だった。
「高校は地元の岐阜県立多治見工業高校の窯業科に進みました。多治見は窯業が盛んですが、高3で進路を決める必要がある。そして進路相談の前あたりに決断したんだと思います。担任に『どうする？』と聞かれた時は『演劇の道に進みます』と答えました。不思議に両親は反対しなかったですね。5人きょうだいの末っ子だったということは大きかったのかもしれません。それから高校の文化祭で舞台に1人で立ち、借りたモーニングを着て、東海林太郎（1898〜1972）のモノマネなどを演じました。今でも写真が残っています。これを上京する弾みにしたんです」
神奈川県川崎市にあった多摩芸術学園で3年間、演劇を学ぶ。多摩美術大学の関連学校だが、今は存在しない。卒業して無名塾、文学座、青年座といった有名劇団を受験するも、ことごとく不合格。ショックを受けたが、翌年、オンシアター自由劇場に入団が決まる。
「『上海バンスキング』を見て感動したので入りましたが、すぐに後悔しました。『あんなに素晴らしい舞台を生む劇団が、こんなに大変なところなんだ』と驚きました。家に帰れない、食事をする時間もない、カネがない、そしてキャスティングされない（笑）。でも不思議に辞めたいとは思いませんでしたね。もともと食うために入団したわけじゃないということもあるんでしょうけれど」
楽器が弾けなければ配役されない。そんな当たり前のことにも気づいていなかった。酒向は腐ることなく、まずはトロンボーンを買って地道に練習を重ねる。すると次第に役をもらえるようになった。だが劇団の方向性が徐々に変わり、自分自身も「もっとリアルな演劇をやってみたい」と考えるようになっていく。
「自由劇場を退団しましたが、辞めても食えない。自分たちで劇団を作っても食えない。20代の頃から常にバイトで生計を立てていました。飲食店の皿洗い、イベント出演、それと解体作業の仕事には助けられました。バブルが弾けても、まだまだ経済に勢いがあったから日当がよかった。40代で二兎社に関わりますが、バイトは続けていました。その二兎社を主宰している永井愛さん（66）が01年、新国立劇場で『こんにちは、母さん』を上演されました。加藤治子さん（1922〜2015）、杉浦直樹さん（1931〜2011）、平田満さん（64）という方々とご一緒させてもらったのですが、その頃から、ようやく演劇だけで食えるようになってきました。もう50歳でしたね」
間もなく還暦。「60代となり、今後はどういう役者を目指すのか？」と質問すれば、「そういう目標みたいなものはないですね」と言う。
「仕事をいただいたら、脚本を読む。そして、役の中に自分と通底する部分を見つける。この根気の必要な作業を続けるだけです。それが面倒になって、『今まで演じた役の中で似ているものを適当にやっておけばいいや』と思った瞬間、僕は終わりでしょう。『検察側の罪人』で皆さんに褒められたことで怠け心が生じて、キープする意欲を失うかもしれない。志と水は低いほうに流れます。モチベーションの維持は大変ですが、それが僕の場合は、あまり頑張らないということなんです。ちょっとだけ頑張る。『ねずみ狩り』は男女の2人芝居で、最後は共に全裸になります。そして僕は『検察側の罪人』でも同じくらい自分の全てを見せています」
妻と長男の3人暮らし。酒向が収入のない時、働いて家計を助けた妻は、今回の演技を「かわいかった」と評したという。
そして長男は3歳半。「晩婚だったので」と照れるが、食器洗い、掃除、洗濯、長男の世話は酒向の担当。「だいぶ喋れるようになり、かわいさと憎たらしさが混在しています」と苦笑する。これならモチベーション低下の危惧は、全くの杞憂に終わるだろう。
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