「まずはオレを雇ってみろ!」 障害者数水増し問題でホーキング青山はこう考える

国内 社会 2018年8月31日掲載

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 国の中央省庁が、雇用する障害者数を水増ししていた実態が次々と明らかになっている。民間に対しては「雇用せよ」と言っておきながら、自分たちはこっそり厄介者扱いしていたに等しい行為だから、厳しく批判されるのも当然だろう。

 しかし一方でこの件はタブー視されてきたある問題を改めて私たちの眼前に突き付けているとも言える。それは障害者と税金の問題だ。

 車イスに乗る障害者芸人として知られるホーキング青山氏は、近著『考える障害者』の中で、かなり踏み込んだ論考を述べている。以下、同書より抜粋・引用してみよう。

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税金の問題

 障害者について論じる際に、とても大事だけれども、あまり触れられない問題がある。タブーと言ってもいいだろう。お金、税金の問題である。

 私も含めた障害者はこの国で生きていく上で、健常者よりも多くの税金で支えてもらっている。これは事実だ。

 障害者の社会参加が叫ばれて久しい。そして以前と比べれば多くの障害者が街中に出やすくなっていると思う。事実多くの人がこれまで以上に街中で障害者を見かける機会が増えたと思う。

 これ自体は素晴らしいことなんだけれど、こうした環境を整えるためには、当然ながら多額の税金が注ぎ込まれている。もっとも、それは単に障害者のためだけではなく、高齢者の増加に対応したという面もあるのだろう。いずれにせよ、恩恵を受けている身としては結構なことだとは思うが。

 資本主義の世界においては、突き詰めて考えると、平均的に生産性が低い障害者に多額の税金を使うことは「効率が悪い」とも言える。放っておけば、家にこもってしまいがちな障害者(や高齢者)を街中に引っ張り出すには、かなりの投資が必要になる。もっと言えば、我々をこの社会で生かしていくには、相当なお金が必要だ。個人差はあれどそのほとんどが税金で賄われている。

 もちろん、こうしたお金は、日本のような国においては、一種の必要経費だということは言えるだろう。憲法で保障されている「生きる権利」や「公共の福祉」という観点から保障されるべきものである。それに、先ほどは高齢者についてだけ触れたが、昨今の交通機関や公共施設、商業施設等のバリアフリー化は、障害者や高齢者のみならず、幼児などのためにもなっているから疑問に感じる人も少ないとは思う。

 しかし、これらはまだ目に見える形での税金の投入に過ぎない。実のところ、障害者といっても、私のように身体にのみ障害を持つ者もいれば(いや、舞台等を見てるとお前には他にも問題があるぞ、などとは言わないでください)、知的な思考や判断ができない知的障害の人や、なんらかの精神的な疾患がある精神障害の人もいる。さらに身体障害でありながら知的障害もある人も珍しくない。一口に障害といっても、人それぞれで程度が異なり、重度だったり軽度だったりする。

 これらの人たち全員が暮らしやすくなるためには果たしていくらあれば足りるのか。皆に対応できる「バリアフリー」を実施したらどうなるのか。分け隔てなく、社会に進出するのには、どのくらいのコストが必要なのか。理想を進めていけば、おそらく気が遠くなるほどの額になるだろう。

「障害者も健常者と同じように社会に出て行ける環境を作るべきだ」

 こういう意見に、表だって反対する人はそうはいない。私だって賛成だ。でも、皆どこかで、それにはとんでもない金がかかることを知っている。だから、とても大事なことなのに、「果たして障害者にいくら金を使っていいのか」という問題が、議論される機会は少ない。

 もっといえば、高齢者は身体の衰えや認知症などを発症しない限り、定年以降も働いて金額はそれぞれ差はあっても納税することが出来るが、障害者の場合そもそも若いころから働くことも難しく、納税も一苦労だったりするから、税金を消費するだけ、になってしまうのだ(ちなみに私は働いて収入もあるので、ちゃんと税金は納めていますよ!)。

 何となく、そのへんは「なかったこと」で物事は進んでいる。

働かない方がいいのか

 私も含め日本のほとんどの障害者は、はっきり言って税金のおかげでかなり助かっていると思っている。もっと言えば、これがなければ、私に限らず、おそらく日本ではほとんどの障害者は生きていくことができないだろうと思う。

 いや、より露悪的な表現をすれば、ほとんどの障害者は一言で言ってしまうなら税金で生かすしかない生き物なのだ。

 なぜかと言えば答えは簡単で、障害者が健常者同様働いて稼ぐことができる環境が今のところ実現していない、するめども立っていないからだ。

 一方で、普通の人が当たり前にやっていることだから、自分もやってみたい、というのは人情である。多くの障害者が、「自分も社会に出て普通に活動したい、働きたい」という感情を抱くのはもっともなことだろう。

 何年か前に、ホリエモンこと堀江貴文氏がツイッターで障害者差別ともとれる発言をして話題になったことがある。

 簡単に言えば、「障害者にも雇用を与えて、きちんと働かせたほうが良い」という意見に堀江氏が異を唱えたのだ。前者の意見は、「政治的に正しい」正論であり、良識あるほとんどの人が肯定するもの。そういう意見に対して、「本当にそうか?」とツッコミを入れたのが堀江氏だった。

「そういう人は働いたほうが社会全体の富が減って結果として自分も損するって事に気付いてない。生産効率の悪い人を無理やり働かせる為に生産効率のいい人の貴重な時間が無駄になっているのだよ」

 という堀江氏の書き込みは、たしかに読みようによっては、「障害者が働くと迷惑」と言っているようにも取れる。ただ、本人によれば、「障害者だろうが健常者だろうが働いたらその分社会が損する奴がいる」というのが真意だという。要するに、「パフォーマンスが悪い」人は、働かないでいてくれたほうが社会全体のためになるし、巡り巡って本人のためにもなる、というのが堀江氏の考えである。

 堀江氏が重視していのは、要するに「費用対効果」だ。障害者が働ける環境を整えたり、働く機会を作るために他の健常者がやれる仕事をあえて障害者に譲ることで生産性が落ちれば、「パフォーマンス」が悪化する。それでかえって皆が貧乏になってしまうのではないか、という指摘である。

 論理的に考えれば、その指摘は正しいようにも思える。堀江氏に論理で勝つのは難しいのかもしれない。

 しかも、実はこの意見に対して、障害者の側から「自分も健常者と同じ条件で働くのは辛く、ホリエモンの意見に賛成」というツイートがあったのも事実である。

労働は何のためか

 しかし、ここで大事なのは「働く」ということの意味だと思う。「働く」の目的が単純にお金を稼ぐため、社会全体で見れば富を生み出すためだと考えれば、費用対効果しか見る必要がなくなる。そうすると「パフォーマンス」が悪い人は、かえって邪魔になるかもしれないし、多くの障害者は「パフォーマンス」が良くないから、働かない方がいいということになる。

 ただ問題は、人間の労働の目的をお金(や富)に限定していいのだろうか、という点だろう。そもそもお金のためだけじゃなく、働きたいという障害者は実は結構多い。

 健常者であっても高齢者で、定年後も働きたいという場合には、お金以外に「やりがい」「働きがい」「社会貢献」「名誉」などを理由に挙げることが多いのではないかと思う。引退したあとの政治家がやたらと張り切っているのも、このへんが理由だろう。迷惑な人も多いが。

 障害者の場合はどうか。実は金銭的なことと同じか、それ以上に「健常者と同じことがしてみたい」「社会との接点がほしい」「自分のやったことで誰かに喜んでほしい」といった理由で働きたい人が多いのだ。これが最近よく言われる「自己肯定感」なのだ。

 堀江氏や、その意見に賛同する人の中には、

「別に働かなくても健常者と同じようなことはできるし、社会との接点だってできるだろうに」

 と言う人もいることだろう。

 でも実際に社会的な接点をなかなか持てないまま、何年、何十年と生きてきた多くの障害者からすれば、叫びたくなるはずだ。

「だったらその接点とやらを提示してくれよ!」

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 今回の水増し事件を受けての感想を、改めてホーキング青山氏に聞いてみた。

「『障害者を雇いたくない』って国と民間企業とで同じことを言っているのを聞かされている障害者はたまったもんじゃないですよ。

 障害者を雇うのがそんなにリスクが大きいのか、雇ってみればいい。オレ? オレは案外いい仕事するよ……多分」

 冗談を交えてはいるものの、長年、障害者と社会というテーマについて様々な形で考えを発表してきただけに、ホーキング青山氏の言葉は重い。この重さと比べて、官僚たちの振る舞いや、バレたあとの言いわけの何と軽いことか。

デイリー新潮編集部