「名刺を出さない」というビジネストレンド(中川淳一郎)

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 東京のごく一部だけの話かもしれませんが、最近のトレンドは、ビジネスの現場で会った時に「名刺を出さない」です。この4年ほどでよく見るようになりました。基本的に出さないのはフリーランス、IT業界人、そして著名な人です。

 名刺を出さない人は、本当に持っていないか、人に応じて出すか出さないかを決めます。どちらにせよ出さない場合は「名刺は持っていないんです」「名刺が切れています」のどちらかを言います。持っているのに出さない人は「こいつにオレの名刺を渡しても意味はない。こんな儀式的なことはしないでいい」と考えているのでしょう。

 共通の知り合いを通じてAさんとBさんが会ったとして、この2人のうちAさんが名刺を持っていないとします。Aさんの言い分は、名前だけ知っておけばフェイスブックで連絡はできるということに加え、仲介者に聞けばBさんの連絡先は分かるので、取り急ぎ連絡先の交換は必要がないから。よっぽどその会合で気が合ったり、その後も一緒に何かをするまでの関係に発展するのなら、LINEのIDを交換すれば連絡はつく、ということでしょう。

 こうした合理的な考え方が少しずつ広がっているような気がします。だから最近では私も誰かと会う時に相手から名刺を出されない限りは名刺は出さないようにしています。理由は、こちらから出して「名刺は持っていないんです」と言われた場合、「だったらお互い必要ないじゃん! それ、返して」と思うとともに、気のない感じで名刺を机の上に出しっぱなしにされることがいたたまれなくなるからです。田中康夫氏が長野県知事に就任した時、名刺を出したら幹部職員から折り曲げられた騒動がありましたが、名刺って労働者にとっては、自分の体の一部のような感じがするものですからね。あと、一応1枚20円とかするわけですし。あ、この前は100枚120円という激安プリント業者で名刺を500枚買いましたが。

 それはさておき、知り合いを介して会ったのだから必要だったら連絡ぐらいはつけられるだろう、的なこのビジネスマナーを合理的だと考えるか、「名刺はサラリーマンにとっての刀、けしからん!」と思うかは人それぞれ。

 ただ、元々名刺交換ってのはくだらない側面もありました。10年ぐらい前から若者の間で発生したのが、「ペーペーは相手より低い位置から名刺を差し出せ」という作法です。元々は「両手で出せ」でしたが、「高さ」までもマナー化した。「私の方がエラくありません!」合戦が誕生したのです。となれば、下から出された側は恐縮し、さらにその下に名刺を出す。すると「我こそは下っ端!」と相手が恐縮してさらに下に出し、互いに膝を曲げてどんどん下に出すバカバカしいやり取りが発生しました。

 名刺が切れていた場合、始末書モノの失態を犯したとばかりに「ほんっとぉに申し訳ございません。名刺ができ次第すぐにお送りします」とペコペコして、後日あらためて、手書きの謝罪の手紙とともに名刺が送られてきたりする。

 これはやり過ぎだったので、名刺を軽んじる風潮、まぁ、アリではないでしょうか。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんしゅうきつこ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2018年8月16・23日号掲載

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