麻生太郎財務相「サマータイム廃止は朝日新聞の責任」発言を検証してみた

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自民党最大の“支援母体”が夏時間に反旗!?

 これがサマータイム4年目、つまり最後の年となると、国民の誰もが怒っている。たとえマスコミがサマータイムを擁護しても、全く効果はなかっただろう。

 読売新聞が51(昭和26)年7月27日に発表した世論調査で、「あなたはサンマー・タイムが来年も続けて実施されるのに賛成ですか、反対ですか」の質問に対し、賛成は僅か23.4%。逆に反対は74.8%に達した。

 この世論調査を受け、朝日新聞ではなく読売新聞が「サンマー・タイム」に関する紙上討論を実施している。中でも怒り心頭なのは主婦と農家だ。まずは「東京・一主婦34」の悲鳴に耳を傾けていただきたい。

《子供たちの就寝時間を考えますと7時頃までに夕食をすませたいと思うのですが外はまだ明るく夢中で遊んでいる子供達はなかなか家の中へ入ろうとはいたしません。やっと呼び入れて手足を洗わせていても、こんどは主人の方が帰ってまいりません。真直ぐに帰れば6時過ぎに帰り着くはずなのですが明るい中はやはり帰る気がしないと見え、お友達とちょくちょく麻雀などをして8時か9時にやっと帰ってくることもあります。
 こういう風ですから主人の小遣いはもとよりガス代はかさみ、時間が不経済であるばかりでなく、家内中で夕食を共にする機会が少なくなり、何となく落ちつきを失います》

 非常に面白い証言だが、まずは先に進もう。次は「長野・農業・S生23」だ。

《1日の中で人間が一番疲労を感ずる時間は標準時間の1時から3時頃とされている。農村ではその間昼寝をするのが必要上生まれた習慣である。それがサンマー・タイムで標準時間の2時頃起きて灼熱の畑にでることは全く愚なことであるし、また植物に対しても良くないことである。午睡後一働きして5時ごろ中休みをし、それから日の暮れるまでの涼しい間が最も能率が上がり、しかも疲労を感じない時間である。こうした理由から私達の地方では夏時間を励行している農家は極めて少ない》

 こうした記事を読むにつれ思い至るのは、当時の日本人は今よりも太陽の動きに従っていたという事実だ。毎日新聞が50(昭和25)年8月31日に掲載した社説「夏時間と国民生活」の一部を引用させていただく。

《欧米では、夕食は早くて7時、遅ければ10時、まず8時が普通だ。芝居は8時半か9時に始まる。日本では夕食は5時か6時が普通で、芝居も映画も9時前後には終わってしまう。日本人は都会生活者でも一般に早寝早起の習慣があって、この点は欧米の都会生活者とはかなり違う》

 一方、「農村の反乱」を指摘するのは評論家の紀田順一郎氏(83)だ。『週刊ダイヤモンド』に連載していた「歴史の交差点」で、95(平成7)年6月24日号に掲載された第72回は「戦後四年間実施 夏時間の損と特」だった。結論部分をご紹介しよう。こちらは漢数字など原文通りに引用させていただく。

《考えてみれば、近世までの日本は不定時法で生活してきた。実際の夜明けと日没を基準とする原始的な時報だが、身体的なリズムからすれば自然に夏時間、冬時間になっていたといえる。明治初期の定時法採用は、緯度変化の大きな縦長の日本列島に、時差なしの単一時間を適用したという点では、とくに西日本地区の民衆に不満があったが、それに目をつぶっての実施であった。
 戦後の四年間に限って実施された夏時間は、以来七五年ぶりの改革だったが、それまでの無意識的な不満が表面化する契機となった。当時の六割前後を占めていた農民層の意識は、政治的にも無視できないものがあった》

 当時の農村における生活時間と、サマータイムで強制される時間との間に、どれだけの不合理性が存在したかは、先の読売新聞の記事で見た通りだ。

 結論から言えば、サマータイムを廃止に追い込んだのは朝日新聞の記事ではない。むしろ現在も自民党の最大支持集団の1つである、農業従事者だったのだ。麻生財務相は最初に「違ってたらごめん」と言い訳しておいて、ホッとしているはず。

週刊新潮WEB取材班

2018年8月22日掲載

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