秘境「インターナショナルスクール」を徹底解剖 教育の理想郷なのか、それとも…

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日本の学校とは何から何まで違う

 校舎を案内してもらった。日本の公立小とは雰囲気がまるで違う。各学年の教室の一角には必ずラグが敷かれ、授業は毎回、ラグの上でのディスカッションから始まる。

 休み時間やお昼休みは決まっているが、専科の授業以外の時間割はない。そもそも算数や理科や社会といった教科の概念がない。だから教科書もない。

「各学年を6週間ずつ6つのタームに分けてカリキュラムを構成しています。タームごとに取り組むべきテーマが決められており、それに沿って学際的に学びます」(坪谷さん、以下同)

 たとえば、あるタームでは「恐竜」について、あるタームでは「芸術家」について学ぶ。理科的な側面からも、社会科的な側面からも、数学的な側面からも、言語的な側面からも、多角的にアプローチして対象を捉える。議論し、調べ、まとめ、さまざまな方法で表現する。

「恐竜は入口にすぎません。恐竜をテーマに学習することで、絶滅や死、サバイバルや進化といった上位概念を自然に理解できるようになることが本当の目的です。私たちはこれを『普遍の真理の追究』と呼んでいます。この学校の生徒たちの大半は、海外からの駐在員の子供たち。数年後には世界のどこの学校で学んでいるかわかりません。だからこそ、どこの国に行っても学習が継続できるように、カリキュラムを構成しています」

 音楽の時間もディスカッションから始まる。「広告はひとの選択に影響を与える。だとすれば広告に使われる音楽も、ひとの選択に影響を与えていることになる。広告における音楽の役割について議論してみよう」などとお題を振るのだ。

「それはどのようなものか」「どのように機能するのか」「なぜそうなのか」「どのように変わっているのか」「他のものとどうつながっているのか」など、1つのテーマについて8つの観点の問いのうち、少なくとも3つを教師が投げかける。

 議論の際には、あえて感情的に考えたり、ネガティブな視点で考えたりと、意識的に視点を調整する方法も教える。

 授業は英語で行われ、英語を母国語としない生徒のためには、英語の速習プログラムが用意される。日本語は「外国語」として学ぶ。

 生徒には1人1台のノート型パソコンが貸与されており、休み時間に小さな子供たちがパソコンを抱えて教室を移動する姿は微笑ましい。毎日の授業での態度や成果は、その日のうちに担任が、生徒ごとに用意されたオンラインの「連絡帳」に書き込む。

 成績は、アメリカの「U.S.A.コモン・コア」と呼ばれる基準と「国際バカロレア」に準じて付けられる。生徒たちはそれぞれの能力に応じて自分の目標を定め、学習の成果を自分でプレゼンテーションする。数学および読解と作文については、世界中のインターナショナルスクールで採用されている標準テストも受験する。

 何から何まで、「日本の学校」とは違う。

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