「日航機墜落事故」から33年―― 風化させてはいけない想いとは

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 今から33年前の今日、1985年8月12日、御巣鷹山に日本航空123便が墜落した。524人の乗客、乗員数のうち、生存者はたった4人。航空機事故史上類を見ない大事故となった。事故原因は、後部圧力隔壁の破損、および、垂直尾翼と補助動力装置の破損、油圧操縦システムの全喪失といわれているが、未だに事故調査報告書に納得が出来ない遺族や関係者から、再調査を求める声も出ている。

 そんな中、『日航123便 墜落の新事実――目撃証言から真相に迫る――』(青山透子・著)が、2017年7月に刊行され、話題となっている。著者の青山さんは、元日本航空国際線客室乗務員で、日航機墜落事故の生存者の1人である日航客室乗務員落合由美さんの同僚だった。事故原因に今なお疑問を抱く彼女が、落合さんを始め、現場を知る人たちへのインタビューや目撃情報など、様々な証言を元に、事故の真相に迫ろうとしている。青山さんは同書内で「いつまでたっても消えない亡くなった人への想いや、拭い去れない疑問を持つこの事件の風化はありえない」と、我々に強く訴えている。

 作家の樋口毅宏さんも、あの事故を未だに忘れられずにいる1人だ。

「夏休みだった。宿題もやらず、毎日家でごろごろしていた。お昼の12時に、いつものようにフジテレビをつけると、サングラスをかけた司会者が、『友達』を紹介するトークコーナーを始めるところだった。

『えー、昨日旅客機事故がありましたが、群馬県の御巣鷹山から中継が繋がっているそうです』

 司会者が記者の名前を呼ぶ。記者はマイクを片手に返事をする。いきなり現場のレポートが始まった。そしてそのまま次の日の友達を紹介することも、空疎な笑いをとることも、カメラが新宿のスタジオアルタに戻ることもなく、その日の番組は終了した」

 樋口さんは、ブラウン管から映し出される御巣鷹山からの中継に釘付けになったという。ショックすぎて内容は何も覚えていないが、その日見て感じたモヤモヤとした暗い錘は、いつまでも樋口さんの心の中に棲み続けていた。

 樋口さんは、そのモヤモヤを吐き出すために一冊の小説を書き上げた。タイトルは『アクシデント・レポート』。舞台は御巣鷹山の悲劇から10年後の夏。ジャンボ機とジャンボ機の衝突という悲劇によって人生を大きく左右された人々の様々な証言や体験が綴られる。もちろんこの本に出てくる証言自体はフィクションだ。しかしそこには確実に、1985年の夏に日本中が感じた衝撃が、つぶさにリアルに綴られている。

 樋口さんは「あの事件を忘れられない人は大勢いるはずです。自分もこれまでの本では登場人物に過酷な運命と仕打ちを与えてきた。しかし今回は違っていた。行間から、山のように積み重なったゲラから、叫び声が聞こえてきて、幾度となく苦しめられた」と語る。

 日航機墜落事故から32年が経過。今年7月21日には群馬県藤岡市の光徳寺で「三十三回忌法要」が営まれ、遺族や、地元住民、住職など、約150人が出席し、犠牲者の冥福を祈った。リアルタイムであの事故を知らない世代が増えてはいるが、決して風化させてはいけない事実。ニ度とあのような悲劇が起こらないように願うばかりだ。

デイリー新潮編集部

2018年8月12日掲載

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