「津川雅彦さん」逝去 本誌に語った”娘の誘拐事件を機に良き父に”

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 今年4月に逝去した妻・朝丘雪路さん(享年82)に続き、津川雅彦さんが亡くなった。

 かつて津川さんは本誌(「週刊新潮」)のインタビューに答え、78年間の生涯の中での「人生最悪の2日間」について、以下のように語っている。(※データは2016年3月3日号掲載時のもの)

 ***

 1974年8月15日未明。東京・世田谷区の津川邸から、生後5カ月の長女、真由子ちゃんが何者かに連れ去られた。だが、当日もその翌日も、新聞はこの大事件を報じなかった。

「日本で初めて警察とマスコミが報道協定を結んだ事件だったんです」

 と、トレードマークとなった感のある髭をたくわえた津川が回顧する。

 マスコミが人命を優先して誘拐報道を控えるかわりに、警察は定期的に捜査状況を報道機関に教えるのが報道協定というシステムである。だが、例えば63年の吉展ちゃん事件当時、新聞各紙はまだ、事件発生当初に〈誘拐?〉などと「呑気」に報じ、報道協定が結ばれたのは発生10日後だった。

 それが、津川によると真由子ちゃん事件で報道協定が「徹底実践」されるようになったという。彼自身、兄で俳優の長門裕之に対してすら、事件のことを明かさないようにと、警察から「情報管理」を強いられた。

 今でも事件をよく思い出すという津川が続ける。

「当時、両親の帰りが遅いこともあって、私と真由子とは別の部屋で、看護師さんと一緒に寝かせていたんですが、その日、看護師さんが真夜中に私たち(夫婦)の部屋にやって来て、『お嬢さんはこちらに来ていらっしゃいませんか』と。男が真由子を抱っこして出ていくのを見て、僕が真由子を連れていったと思ったらしいんです。でも、僕はそんなことを一度もしたことはない。すぐに、『これは誘拐された』と直感し、家を飛び出して真由子を探しました」

 しかし、既に誘拐犯はどこかに逃げ去っており、ほどなく警察が津川邸に詰める事態となった。

 明け方4時頃、誘拐犯の男から、第一勧銀(当時)の口座に400万円を振り込めとの電話が入り、翌16日の昼、男は東京駅南口のATMに現れたところで警察に見つかる。これで事件解決と思われた。ところが、

「『どうせ死刑になるんだからと開き直って、犯人がお嬢さんの居所を吐かない』と、警察の人が言う……。娘はもう殺されているに違いない。胸の中に手を突っ込まれてかき混ぜられているような、非常に辛い思いで、その後の時間を過ごしました。結局、男には前科があったため、指紋から彼の自宅が判明し、その家で16日の午後7時頃、娘の無事が確認されました。男には奥さんと、真由子と同じ乳飲み子がいて、奥さんがうちの娘の面倒も見てくれてて、真由子は左頬を蚊に刺されただけで帰ってきました」

 だが津川は誘拐とは別に、

「各社、報道協定を守ってくれ、犯人逮捕まで記事にすることこそありませんでしたが、逮捕後、東京新聞は、『役者は子どもの写真もマスコミに撮らせて宣伝に利用する。破廉恥なタレントの子どもは誘拐されても当然』と書いた」

 と、今なお憤懣(ふんまん)やるかたない様子で語る。実際、同紙の見出しはこうだった。

〈生活も育児も“狂う”スター〉

〈赤ちゃんまで人任せ〉

〈犯罪誘う“家庭売り物”〉

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