「津川雅彦さん」逝去 本誌に語った”娘の誘拐事件を機に良き父に”

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ゴルバチョフに談判

 津川は東京新聞の購読を止めると同時に、娘の誘拐事件を奇貨として、ある「変身」を遂げる。ギャンブルと銀座でのクラブ遊びを慎(つつし)み、「世界一のパパ」を目指すと決意したのだ。

「まず、木製のおしゃぶりを娘に与えようとしたんだが、国内では見つからず、自分で木製玩具を輸入する店を始めました。もうひとつ、スコットランドのお城を買って、北海道に移設し、サンタの国を造ることにもしたんです」

 古城を解体し、その石をシベリア鉄道を使って北海道まで運ぶ計画を立案。しかし、時は昭和の末期、まだソ連の時代で、「鉄のカーテン」を開けられるか否かは不透明だった。そこで、

「ちょうど、知人の政治家がゴルバチョフに会いに行くというので、無事、石を運搬できるようお願いしてほしいと、伝言を託したんです。ゴルバチョフの答えは……『OK』でした」

 結果、総重量約600トンの石を運ぶことには成功したものの、城再建費用の目処が立たずに計画は頓挫。また事件4年後に設立した玩具輸入会社「グランパパ」も、一時は全国に10以上の直営店を展開しながら、開店から30年、デフレの影響で、5億円以上の借金を抱えた津川は経営権を手放す事態となる。それでも彼は、往時の「濡れ場名優」とはほど遠い好々爺の顔で、事件をこう総括する。

「娘は『パパのようなパパは他にいない』と言ってくれてて、世界一のパパになれたと自負しています。今では、誘拐事件が起きて良かったとさえ思っているほどです」

 現在、真由子さんは「家業」を継いで女優として活動している。

 なお事件後、津川は警官を「ポリ公」と呼ぶのを止め、政府の拉致問題啓発ポスターにもモデルとして協力。誘拐事件でお世話になった捜査機関に恩返しをする――。それが目下の津川の、言わずもがなの「紳士協定」となっているようだ。

週刊新潮 2016年3月3日号掲載

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