東京五輪で「サマータイム」導入案浮上 1948年から実施で大混乱の暗黒史

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遅寝早起きを余儀なくされる辛さ

 以来、約70年が経過し、今の日本人は「欧米」に近いライフスタイルになったことが実感される。

 それにしても前に見た通り、当時の公務員は実際の時間で午前8時台に働き出していたのだ。少なくとも15分前には出勤していないと、落ち着いて仕事を始められないだろう。通勤に1時間かかるとしたら、6時台に家を出る必要がある。起床は5時台でも不思議はない。

 これがサマータイムでさらに1時間、繰り上がるのである。4時台に起きなければならない家庭も少なくなかったはずだ。

 更に当時、自分の朝食を自分で作る夫=父親は皆無だっただろう。全て妻=母親の仕事だった可能性が高い。おまけに炊飯器も電子レンジも、パン食も普及していない時代だ。朝食のため飯を炊き、みそ汁を作る。弁当を必要とする家庭もあっただろう。3時台に起床しなければならない妻も決して珍しくなかったのではないか。

 そして放課後になると、子供たちは外で遊ぶ。彼らが帰宅する目安は「日が暮れる」ことだ。現在のように午後5時30分に役所が放送で音楽を鳴らし「家に帰りましょう」と呼びかけるわけではない。

 仮に標準時で午後6時が夕暮れだったとしよう。これなら午後7時には夕食が終わるだろう。だが夏時間の場合は午後7時でも明るいかもしれない。そうすると夕食終了は午後8時台にずれ込んでいく。

 主婦は証言で、夫は「8時か9時にやっと帰ってくる」と不満を表しているが、これも実際の時間なら午後7時か午後8時だ。決して遅いわけではない。2018年の日本なら「早く帰ってきたのね」と妻が驚くかもしれない。夏時間のために遅いと感じてしまうのだ。

 こうして普段より1時間就寝時間は遅くなり、起床は1時間早くなるという地獄の悪循環が誕生することになる。おまけに夏本番となると、夜でも暑い。クーラーどころか扇風機も普及していなかった時代だ。深夜にならないと眠れない人も多かっただろう。

 評論家の紀田順一郎氏(83)は週刊ダイヤモンドに連載していた「歴史の交差点」で、サマータイムを取り上げている。95年6月24日号に掲載された第72回は「戦後四年間実施 夏時間の損と特」というタイトルだった。結論部分をご紹介しよう。こちらは漢数字など原文通りに引用させていただく。

《考えてみれば、近世までの日本は不定時法で生活してきた。実際の夜明けと日没を基準とする原始的な時報だが、身体的なリズムからすれば自然に夏時間、冬時間になっていたといえる。明治初期の定時法採用は、緯度変化の大きな縦長の日本列島に、時差なしの単一時間を適用したという点では、とくに西日本地区の民衆に不満があったが、それに目をつぶっての実施であった。
 戦後の四年間に限って実施された夏時間は、以来七五年ぶりの改革だったが、それまでの無意識的な不満が表面化する契機となった。当時の六割前後を占めていた農民層の意識は、政治的にも無視できないものがあった》

 2020年を迎える私たちは、不定時法と定時法のどちらを生きているのか、そんなことも考えさせられる「サマータイム騒動」である。

週刊新潮WEB取材班

2018年8月4日掲載

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