「安倍政権の初動は問題だ」という菅元総理の言い分に正当性はあるのか

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菅直人元総理のツイート

 西日本の豪雨災害への政治家の対応について、様々な「場外乱闘」が繰り広げられている。警報が出た日に、総理やその周辺が宴席を設けていたことを野党側が非難すれば、「そっちもパーティーやっていたくせに」というツッコミがあちこちから出るという状態だ。
 ついにはこんな人まで……という人が参戦してきた。菅直人元総理だ。
 7月14日、菅元総理は、自身のツイッターで次のように発信した。

「豪雨災害での安倍総理の初動が問題視されています。安倍総理は3・11東日本大震災とそれに伴う福島原発事故の時も、超党派で対処するという姿勢は取らず、いかに政局に利用するかを考えてウソの情報を流し続けました。『赤坂自民党亭』では危機管理よりも総裁選対策を優先したことがよく表れています」

 安倍政権の評価はさておき、菅元総理の東日本大震災の時の危機管理はどう評価されていたのだろう。たとえば、産経新聞の阿比留瑠比氏は、2011年に刊行された著書の中でこう激しく批判している。

「平成23(2011)年3月11日、東日本大震災が発生した。風前の灯火だった菅政権の命脈は、皮肉なことにこの未曾有の大災害によって延びたが、同時に民主党には政権担当能力が全くないことを集大成的に示すことになった。
 東京電力福島第1原子力発電所の事故対応も被災地支援も後手後手に回り、揚げ句、自民、公明両党との大連立で責任分散を図ろうと画策する。その姿は、無能と無責任を描いた戯画そのものだった。
 参院で問責決議を受けて菅に更迭された前官房長官の仙谷由人が、更迭した当人である菅によって被災者支援担当の官房副長官に起用されるに至っては、笑えない冗談としか言いようがない」(『政権交代の悪夢』)

 何とも厳しい言葉が並んでいるが、阿比留氏の場合、産経新聞がもともと菅氏らが所属していた民主党には批判的なスタンスなのだから、このような表現になるのでは、という見方もあるところだろう。

元首相補佐官の証言

 では、さらに当事者に近い人物の手記を見てみよう。
 馬淵澄夫氏は、原発事故から約2週間後、2011年3月26日から6月27日までの3カ月間、菅内閣の首相補佐官として最前線で事故の収拾にあたった。事故発生時は民主党の広報委員だったが、官邸の強い要望により、事態の収束に深く関わることになる。その馬淵氏が当時のことをまとめ、2013年に発表した手記(『原発と政治のリアリズム』)には、菅総理の問題点について触れている箇所がある。馬淵氏は、震災当時には官邸におらず、原発対応に参加した時点では、総理はほとんど関与していなかったので、震災直後の対応について批判することはできない、としながらも、次のように述べている。

「私が言及できることがあるとすれば、それは原発の対応チームに来てから、総理の『唐突な政策』にしばしば戸惑ったということだ。
 特に印象深かったのは、浜岡原発の運転停止要請。これは5月6日の夕方に総理が突如発表したものだ。私もこの一報をニュースで知った。
 思い返せばこの2日前、4日の夜に、突然細野補佐官から『明日の統合本部の会議に出て全体を仕切ってくれ』と頼まれた。何でも、浜岡原発に海江田大臣が急遽視察に行くことになったので、自分も同行するという。

 この場では当然、浜岡原発の停止要請を検討しているなどという話はなかった。翌日のスケジュールをすでに組んでいた私は、『急に何があるのだろう』と戸惑ったことを覚えている。
 浜岡原発の停止要請が、政府内でも秘密裏に進められ、唐突に発表されたものであることが如実に表れているといえる。
 7月の玄海原発の再稼働に際しても、直前になって『ストレステスト』の実施を発表した。しかしこの時点で具体的な内容やスケジュールはまったく決まっておらず、発表を受けて慌てて省庁が対応に走る。
 すでに海江田大臣が、玄海町長に再稼働を認める発言を現地で行っていた。
『菅総理の指揮が混乱を招いた』と世間から批判を受けるなら、私はこの『唐突さ』が最大の問題だと思う」

 馬淵氏は自戒の念も込めて次のようにも綴っている。

「映画には、こんなシーンがよく出てくる。宇宙人襲来や地球滅亡の危機が訪れると、大統領が一人立ち上がって危機を救う。強いリーダーシップに、国民だけでなく、世界中の人々が賞賛の声をあげる。
 でもこれは映画の世界の話だ。
 独裁国家ならいざ知らず、日本国においては、首相は首相として、政治家は政治家として、できることは法律で定められており、その法によって与えられた権限の中でしか権力を行使できない。
 逆に言えば、たとえ総理の命令だろうが、政府の命令だろうが、法律に定められていなければ、それに従う役人はいない。(略)
 われわれ民主党は『何でも自分でできる』『私たちに任せてくれ』と言って、政権交代を成し遂げた。しかし実現できないことが多かった。
 原発事故対応も同様だ。法的根拠がない統合本部でも、政府の強いリーダーシップでなんとかなると考えていたのではないか。
 民主党の一員として、その甘さを重く受け止めている」

「政治主導」に拘泥する政府と、楽観論にこだわる「原子力ムラ」との狭間で苦悩し、格闘した経験を持つだけに、馬淵氏が発する言葉は苦く重い。
 それに比べると、菅元総理の言葉はどうだろうか。
 ツイッターで発信したのと同じ日に、自身のブログでも政権批判を展開。中には、原発時の初動対応の自画自賛めいた文章まで……。

「3・11の東日本大震災とそれに伴う福島原発事故発生の時、総理であった私は原発事故に関する正確な情報が東電本店から入らないため、事故発生翌日の3月12日早朝に現場である福島第一原発に班目原子力安全委員長を伴ってヘリで飛び、吉田所長から直接正確な情報の報告を受け、続いて福島、宮城などの上空から津波被害の状況を自分の目で確認しました。
 この時、総理が官邸を離れて現場に行ったことに対して自民党から強い批判が出ました。しかし私は今でも現場責任者から直接原発事故状況の正確な情報を得たことはその後の避難指示などに極めて役立ち、また自衛隊の早急な最大限の出動にとっても役立ったと考えています」

 さて、この元総理の言葉、どのくらいの共感を得られるのだろうか。

2018年7月24日掲載

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