「スマブラではピカチュウ使い」 ゲーム実況者へ転身の平岩康佑アナが語るゲーム愛

エンタメ

  • ブックマーク

Advertisement

「三十にして立つ」とはいうけれど、このたび30歳にしてゲーム実況者に転身したのは、元朝日放送アナウンサーの平岩康佑氏である。ゲーマーなら一度は夢見る“業界”へのジョブチェンジを成し遂げた、その素顔に迫る。

 ***

 平岩氏が自身のTwitterに〈eスポーツ実況に専念することに致しました。〉と投稿したのは、6月16日のことだった。同時に2011年からアナウンサーとして勤めていた朝日放送を退社したと明かし、コンピューターゲームの腕前を競う「eスポーツ」の実況者マネジメントを行う「ODYSSEY(オデッセイ)」を立ち上げた旨が報じられた。

「もともとゲームが好きだったのですが、昨年の冬に、朝日放送の仕事としてeスポーツの仕事をやらせて頂きました。以来、“ゲームが好きな人と仕事するのって楽しいな”と頭から離れなくなってしまって……」

 と語るのは、平岩氏本人である。その熱は年が明けても冷めることなく、3月には社に退職を相談。スポーツ担当アナとして「今年の甲子園までは…」と後ろ髪を引かれつつも、自力で会社を起こすに至った。なんとも早い決断である。

「ゲーム実況アナウンサーとして、第一人者になるにはスピードが大事だと思ったんです。それまでeスポーツは海外で盛り上がっていましたが、最近は日本のメディアでも取り上げられるようになってきた。東京ビッグサイトなど、1万人規模の会場でイベントも開かれていますしね。とはいえ、プロのアナウンサーがゲームの実況もするアメリカの状況とはほど遠い。そこに応えたかったというのはあります。あとは好きなことを仕事にしたい、というのも大きい。休みの日はずっとゲームしていましたから」

 会社を起こして約1カ月、“お仕事”としてはオンラインカードゲームの「Shadowverse(シャドウバース)」に関わり、7月22日の「シャドバ甲子園」(主催:Cygames)東北予選でもマイクを握る。一方“プライベート”のゲーム事情でいえば、洋ゲー好きだったという。

「きっかけは中学生のときに出会った『RAINBOW SIX(レインボーシックス)』。それこそ、今eスポーツとしてもシリーズ最新作がプレイされています。当時は、海外のゲームがあまり日本向けにローカライズ(翻訳化)されていなかったんです。遊びたくても、日本版のゲーム機にはソフトが対応していない。だから『RAINBOW~』のために海外用の本体を買って、辞書片手にプレイしていました」

 同作は『SPLINTER CELL(スプリンター・セル)』シリーズなどと同じトム・クランシーの小説が原作で、いわゆる“軍隊モノ”。もともとは映画を通じて銃や特殊部隊に興味があった平岩少年だったが、その流れでゲームの存在を知り、すっかり魅せられたのだという。しかし、これは中学生になってからの話。長らく平岩家は“家でゲーム禁止”の教育方針だったという――。

次ページ:生涯ベスト3タイトルは…

前へ 1 2 3 4 次へ

[1/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。