記者たちが語る「オウム捜査」秘話 「麻原」はいかにして追い詰められたか

国内2018年7月12日掲載

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 教祖である麻原彰晃(本名・松本智津夫)を含む7人の死刑が執行され、一連のオウム真理教事件は一応の区切りを見せた。ここに至るまでの長い道のりには、戦後最悪といわれた犯罪集団と対峙した、警察の決死の捜査があった。

 教団への強制捜査から10年の節目を迎えた2005年、週刊新潮は4月7日号で「『麻原逮捕』10年で明かす『オウム捜査』秘話」を掲載している。捜査の現場を最前線で取材した記者たちの証言に基づく、座談会風のレポートである。(以下、データは掲載当時のもの)

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社会部デスク: 十年一日の如しというけど、あの騒乱のオウム捜査からちょうど10年。元日の朝刊で、読売新聞が1面トップにデカデカと「サリン残留物を検出」って、上九一色村の名前を書いたスクープのインパクトは今も忘れられないね。

警視庁担当記者: 記事のどこにもオウム真理教のオの字もなかったですけど、あれが上九一色村に本拠を置くオウム真理教と松本サリン事件を結びつけた最初の記事でした。実は、その前の年の秋ごろから、全国紙は各社、うっすらと、オウムが大きな事件、たぶん松本サリンの捜査対象になっているなぁ、とは気付いていたんです。しかし、読売以外はどこもディテールが取れなかった。その結果、大スクープを独占されてしまった。

遊軍班キャップ: なまじ、何となく知っていただけに、悔しかったね。当時、サツ回りだった僕は、元日の午前3時に泊まり番のデスクから叩き起こされて……。「すごい記事が出ているぞ」って……。すぐに信憑性を確かめるために裏付け取材をしたけれど、やっぱり確認はできなかった。ひょっとすると誤報の可能性もあるかと思ったけれど、結果的には、オウムの幹部連中が「米軍が上九一色村でサリンを撒いてる」とか、無茶な主張を始めたことで、逆に、サリンを精製していると感じた。

現場カメラマン: あの記事でマスコミが大挙して上九一色村に押しかけて、サティアンが有名になったんです。ところが、すぐにも、本格的な捜査が始まると見ていたら、1月17日に阪神大震災……。警察もマスコミも余剰人員は震災に振り分けられて、大体1カ月はオウムからマークが外れたんでしたね。

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