「八角」「貴乃花」両親方、“着こなしも散歩も正反対”の図

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 時は平成30年。北上する台風が東京にも迫らんとする、6月のある週末のこと。湿った風が吹く街角に人影ふたつ。何重にも着こんだモノトーンな出で立ちで、右方向を気にするのは貴乃花親方。前を向き、明るい色のTシャツ姿で通りをゆくのは八角親方である。進む八角、待つ貴乃花。ええい、ここで会ったが百年目!とばかり、やにわに斬り合いが演じられるかにも見え――。

 その対照的な装いと同じく、先の“貴乃花の乱”で明暗分かれた両親方は、それぞれ、相撲部屋の周辺をウォーキングして汗を流していた。

 早朝、悠然と現れた貴乃花親方は、近隣の全長1キロにおよぶ商店街へ向かうと、行ったり来たりの3往復でたっぷり2時間。路上の看板に向かって腕立てをしたり、ご覧のように屈伸したりしながら部屋へと戻った。通行人が二度見三度見、さらに振り返って凝視していたワケは、彼の放つ存在感ゆえか、はたまたコソ泥然とした服のせいだったろうか。

 対してカラフル親方の散歩は、部屋を起点に大通りをぐるりと3キロ弱、足早に40分少々で終了した。大きく腕を振り、信号が点滅すれば軽快に小走りしてみせたが、時おり腰に手を当て、グイと体をひねる姿には、隠せぬ疲れが滲み出る。

 協会の行く末をめぐる主張のみならず、着こなしや散歩のスタイルまで正反対の2人だが、ベテランの相撲ジャーナリスト氏はこう言うのだ。

「対立はしても『良い相撲の継承』という訴えは共通。八角親方も貴乃花親方の実績は評価せざるを得ず、解雇せず審判部に配したのも、土俵下からニラみを利かせてほしいと、少なからず考えたからでしょう」

 刀を抜かずに訪れた静寂は、嵐の前のなんとやら、かもしれないが。

週刊新潮 2018年6月21日号掲載

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