生きていれば今日、プリンスは還暦だった

芸能 2018年6月7日掲載

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1958年6月7日

 6月7日は、一昨年急逝した天才ミュージシャン、プリンスの誕生日。

 そして生まれたのは1958年だから、今年はなんと還暦を迎えるはずだったということになる。

 ちなみに同い年のミュージシャンを見ると錚々たる面子が並ぶ。マドンナ、マイケル・ジャクソン、ポール・ウェラー、デヴィッド・シルヴィアン、玉置浩二、等々。

 さらに同い年の有名人の名前を挙げてみれば、原辰徳、安藤優子、みうらじゅん、仁支川峰子、森昌子、桜田淳子という多彩な顔ぶれだ(『同い年事典』より)。

 往時のプリンスを知る人たちは、生きていれば還暦という事実に様々な感慨をおぼえることだろう。常に革新的であり続けた彼が、60歳になったときにどのような作品をつくっていたのか。想像もつかない領域に入っていたのかもしれない、と。

 一方で、若い音楽ファンにとっては、今一つその凄さが伝わりづらくなっているかもしれない。しかし、実際にはプリンスがつくった音楽は、まさに現役バリバリのミュージシャンにもわかりやすい形で影響を与えている。

 その代表例がブルーノ・マーズ。先日、完全ソールドアウトで大盛況だった日本公演での締めくくりの曲は「アップタウン・ファンク」。2014年にマーク・ロンソンfeat.ブルーノ・マーズという名義で発表されたこの曲こそ、まさにプリンス直系の作品。プリンスの生み出した「ミネアポリス・ファンク」をモロに踏襲した曲である。

ミネアポリス・ファンク

 ミネアポリス・ファンクとはどういうものか。プリンスの熱狂的ファンでもあるミュージシャン、西寺郷太氏の『プリンス論』に詳しいので、抜粋してみよう。

 ミネアポリスはアメリカ、ミネソタ州の中核都市で、プリンスが幼少期~青年時代を過ごした街。

「プリンスが地元のホテルや学校のダンス・パーティ、コンテストなどで音楽的経験を重ねていた1970年代初頭。地元ミネアポリス周辺の黒人音楽シーンには、後にプリンスがバックアップすることになるバンド『ザ・タイム』の中心人物で盟友でもあるモーリス・デイや、20歳でミシシッピ州から移住してきた実力派シンガー、アレキサンダー・オニールのほか、ジャネット・ジャクソンなどのプロデュースで名声を獲得し、1980年代以降のダンス・ミュージックを牽引したジミー・ジャム&テリー・ルイスなどがいた。未来の音楽シーンを牽引することになる若き才能たちがミネアポリスにひしめき合い、それぞれが成功を夢見て切磋琢磨していた。

 後に彼らの音楽は、プリンスを軸とする一大勢力『ミネアポリス・ファンク』『ミネアポリス・サウンド』などと呼ばれ、世界中の憧れと注目を集めるようになる。

『ミネアポリス・ファンク』のトレードマークは、弾むシンセサイザーとリズム・マシンの機械的な響き、高い演奏力と強靭なグルーヴ感を持つ生演奏の絶妙なブレンドにあった。パフォーマンス面では、バンドの演奏メンバー陣がヴォーカリストに呼応してダンスをする楽しげなステージ・アクションも特徴のひとつだ」

 実は1990年代以降は、このミネアポリス・ファンクも一時期ほどの人気がなくなってきたが、この数年、再評価の波が訪れている。その代表格が前述の「アップタウン・ファンク」なのだ。

「この曲が、プリンスにオマージュを捧げた作品であることは明確だ。タイトルが、1980年9月にプリンスがリリースした初期の代表的シングル『アップタウン』(実際にこの地名はミネアポリスに存在するが、プリンス自身『アップタウン』は、故郷ミネアポリスの彼流の呼び名であると話している)に重ねられていることからもわかる。

 プリンスが1987年にリリースした2枚組傑作アルバム『サイン・オブ・ザ・タイムス』収録のファンク・チューン『ハウスクウェイク』や、彼がプロデュースを手掛けたモーリス・デイとザ・タイムの『ザ・バード』などを聴いてもらえれば、ブルーノたちがいかに少年時代からプリンスの影響下にあり、その上で愛を持って『黒人音楽の伝統』を受け継いでいこうとしているかが伝わるはずだ」

 プリンスなんて知らないよ、という若いブルーノファンも、知らず知らずのうちに天才の掌の上で踊っているのである。

デイリー新潮編集部