なぜ彼は「殺人」を告白したのか―― 歪んだ「反省」 川崎「連続通り魔事件」の真実

国内 社会 新潮45 2018年6月号掲載

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 仮出所を前に、殺人未遂の懲役囚が別の殺人事件の犯人だと名乗り出た。その理由は何だったのか。傍聴ライターの高橋ユキさんが、その真実に迫る。(以下、「新潮45」2018年6月号から参照、引用)

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獄中の告白

 殺人未遂事件で服役中の彼が告白したのは長く未解決だった「通り魔殺人」だった。
 神奈川県川崎市宮前区。東急田園都市線梶が谷駅から南東2キロの距離にある通称「梶ヶ谷トンネル」は、JR貨物梶ヶ谷貨物ターミナル駅や、武蔵野貨物線の下を通る長さ約170メートルの市道トンネルだ。2006年9月23日午前0時頃、このトンネル内の歩道で当時27歳のアルバイト・黒沼由理さんが倒れているのを通りかかった会社員が見つけた。黒沼さんは右胸と左腹を刺されており、病院に搬送されたが約2時間後に死亡。神奈川県警捜査一課は殺人事件と断定し、捜査を開始した。(中略)

 県警は昨年9月までに述べ2万4千人の捜査員を投入し、1万5千世帯に聞き込みを行なった。それでも容疑者検挙には至らず、三億円事件や世田谷一家殺害事件のように「梶ケ谷通り魔事件」(以下、梶ケ谷事件)もこのまま未解決かと思われかけていた。
 ところが昨年10月、事件は急展開する。ある男が、梶ケ谷事件の容疑者として逮捕されたのだ。男の名は鈴木洋一(ひろかず)(37)。別件の殺人未遂事件で黒羽刑務所に服役中の一昨年1月、犯行をほのめかす葉書を宮前署に送り、任意での事情聴取が進められていたのだった。(中略)

 再逮捕された10月10日は鈴木の仮釈放予定日だった。出所直前の殺人事件の告白は、出所も叶わぬばかりか、再びの服役生活が待っている。窃盗犯が余罪として他の盗みを告白するのとは話が違う。県警の捜査は続いていたが迷宮入りとなりかけていた。黙っていればそのまま出所できたのだ。

逃げ切った事件

 私は逮捕直後から半年間にわたり、勾留中の鈴木とやり取りを重ねてきた。前代未聞で不可解としか言いようのない“罪の告白”をした理由を知りたかった。実は私はかつて、鈴木が梶ケ谷事件への関与を疑われながら頑として認めなかった様子を目の当たりにしていた。それは鈴木が受刑生活を送ることとなった別の殺人未遂事件、通称「野川事件」の一審公判のときのことだった。(中略)

 警察は野川事件が発生した当初から、梶ケ谷事件についても鈴木に疑惑の目を向けていた。近接した二つの現場、夜に1人で歩いている女性の体を刃物で2度刺すという手口。さらに鈴木は二つの現場に近い市営団地に家族と住んでいる。疑惑はますます深まるが、しかし梶ケ谷事件で鈴木を逮捕できる決定的な証拠が足りない。野川事件の公判はそんな空気の中で行われていた。
 08年4月の第3回公判。検察側の被告人質問で何を聞かれても「お答えできませんっ!」を連発する鈴木に対して、不意にこの質問が飛び出したことをよく覚えている。
「梶ケ谷の事件も、あなたがやったんですか?」
 当然ながら鈴木は同じように「お答えできませんっ!」と答え、弁護人は質問への異議を申し出た。野川事件の公判で梶ケ谷事件の質問をするのは筋違いだと検察官も承知しているはず。異議も覚悟の上だろう。だが裁判官は異議を認めず棄却された。優勢だと感じたのか交代した別の検察官も、同じ質問を続ける。鈴木はやはりこう繰り返していた。
「お答えできませんっ!」
 完全なる別件について検察官がこれほどしつこく追及する場面を、私は後にも先にも見たことがない。異例の問答を私は長い間忘れることができなかった。加えて、法廷で鈴木が見せる不満げな目つきやふてくされた態度が不気味な気迫をまとっているように見えた。
 結局、鈴木には野川事件で懲役10年の判決が確定したが、公判でしつこく追及を受けた梶ケ谷事件については「逃げおおせて」いたのである。
 だからこそ、鈴木が梶ケ谷事件を告白したことが不可解だった。
 あんなに“頑張って”いたのに、なぜ?
 刑務所で更生に向けた日々を送るうちに「黒沼さんに悪いことをした」という気持ちが湧き起こり、言わずにはいられなくなったのか?
 あの男に改悛の情が芽生えたということなのか?
 私はこれまで何度となく鈴木と面会を重ね、70通近く手紙のやり取りをしてきた。それは一般的には「反省」と呼べる態度ではなかった。(中略)

問題を起こす受刑者

 2009年8月に野川事件で懲役10年の判決が確定した鈴木は、黒羽刑務所へ送られている。これは勾留中に「ベーチェット病」と診断され「医療がしっかりしている刑務所」に行きたいと本人が望んだためだ。(中略)さらに受刑者のバイブル『囚人狂時代』(見沢知廉/新潮文庫)を愛読していた鈴木は、著者が「天国だ」と称する八王子医療刑務所行きを画策し、医務回診で、精神科の薬を多く求めるようになった。(中略)こののち「なんらかの規律違反を起こし」、2014年の春に、配属された工場から姿を消した。
 翌年7月、鈴木は朝食時に突然倒れ、病院へ搬送された。
 医師から下された診断は「脳梗塞」そして「肺炎」。脳梗塞の影響で左半身に麻痺が残り、リハビリ生活が始まる。ほどなくしてベッドに空きが出たことから、念願だった八王子医療刑務所へ移送された。
 本人によれば、ここでの生活が梶ケ谷事件の「告白」へと至らせたということになる。

ねじ曲がった信仰

 ある夜、(八王子医療刑務所の)病室のベッドで読んだ一冊の本がまず鈴木の心を動かしたという。それは1953年7月のバー・メッカ殺人事件で死刑判決を受けた正田昭(享年40)の著作『夜の記録』(聖母文庫)だった。
〈読んでいると罪への罪悪感と死への気持ちが綴られており、「はたして自分はどうなのだろうか?」と考えるキッカケの大切な一冊で、脳と肺炎の病気をする前に黒羽で読んでいたものの、自分が死にそうになってから読むのだとまったく違う“本”に思える位で……〉(1月21日記載の手紙より)
 同書には、同じように死刑執行を待つ者たちとの会話、年老いた母との面会、休日の洗濯、そして神への祈りといった単調な毎日を送りながら、やがて訪れる“その日”への恐怖や自分の犯した罪についての考察が綴られている。鈴木がこの本に最も共感を覚えたのは“祈り”だったらしい。(中略)

〈黒沼さんに対しては、腹部と胸部の2カ所を刺していたので、腹部の痛みは、ベーチェット病で、胸部の痛みは、肺炎として痛み苦しみを、味わったので、黒沼さんが、私の前から早くはない位の早さで、上半身がフラフラしていて、巧く走れない感じに見えて、この感覚は、「脳梗塞」の件での障害で、左半身が不全マヒになってから、「動くけど、巧く動かせない。」で、私の体を、もって体感して黒沼さんの場合は、亡くなっているので、私よりも痛く苦しんだと思うと、出所が先に伸びてしまう事よりも、正田氏が、思い、綴った“夜の記録”が信仰心と罪への気持ちで書かれている“本”だと感じたのです〉(3月6日記載の手紙より)
 病気をしたことで黒沼さんと自分の「痛み」を重ね合わせたのだった。そしてこう書く。
〈形だけの信仰で、黒沼さんの命を奪っておいて、私のみが命を守り助けられたのは、神が私を必要とする者と感じたので、すべての罪の「せいさん」をしてから、出所をして、神のお力になりたいと……(中略)〉(同)
 被害者やその遺族を思いやっての告白ではないのだ。自分は神に必要とされている。だから信仰に生きたい……。その信仰の目的についても、同じように、被害者のためではなく自分のためだと綴る。(中略)彼の「告白」により事件が前進したことは確かだが、あまりにも自分本位の改悛であった。(後略)

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 全文は「新潮45」2018年6月号に掲載。面会で鈴木が語った事件の詳細や動機、黒羽刑務所での鈴木が起こした騒動などを、10ページにわたり克明にレポートする。

高橋ユキ(たかはし・ゆき)
傍聴ライター。福岡県出身。2006年『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』でデビュー。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』『木嶋佳苗劇場』(共著)など。