開高健は“裏部屋”希望、釣りを楽しんだ「環湖荘」 文豪が愛した温泉宿

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「文豪」が愛した温泉宿――山崎まゆみ(1)

 暦のマジックで、今年は久々の長期連休を過ごした方も多いだろう。旅ならば疲れを癒しに温泉宿へ。そう考えたのは、名立たる文豪たちも同じだった。1000カ所以上の温泉を訪れた温泉エッセイスト・山崎まゆみさんが、文学を巡る秘話満載の旅へと貴方を誘う。

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 山に春がやってきた。木々は芽吹き、冬眠から目覚めた動物たちが動きだす。黄金週間は、冬季閉鎖していた山峡のいで湯が次々と再開する季節でもある。

 4月25日、宿開きを迎えたのが「丸沼温泉 環湖荘(かんこそう)」だ。群馬県片品村のさらに奥、標高1430メートルの“関東の秘境”に建つ一軒宿の前には、手つかずの湖が広がっている。

 この丸沼に、開高健が初めてやってきたのは、昭和44年3月のこと。開高といえば、その4年前に書いたベトナム戦のルポルタージュで名を馳せたが、昭和43年、雑誌「旅」で〈私の“釣魚大全”〉の連載を始めて釣りにも傾倒。釣りの随筆『フィッシュ・オン』の基となる旅に出る直前、新境地を拓くタイミングだった。

「銀座のクラブで、開高さんが“丸沼で大物を釣った”と話しているのをうちのオーナーが聞きまして、環湖荘に誘ったようです」

 とは、開高と宿で最も接点があった当時の支配人・小山内康夫さん(75)。宿のオーナー企業「丸沼」は、この地域に広大な土地を所有して、丸沼、大尻(おおじり)沼、菅沼の漁業権も持っていた。

 現支配人の井上勝さん(62)はこう振り返る。

「当時は大尻沼や菅沼は禁漁で、丸沼だけ釣りができたんですが、開高さんは特別でした。滞在中は3つの湖で自由に釣りを楽しまれましたが、入れ食い状態だったと思います。手つかずの湖ですので、とにかく魚も元気で引きが強い。それで、この場所が大そうお気に召したようです」

 井上さんがよく覚えているのは、暖かい素材のツイードで仕立てた洋服の上に、ポンチョを羽織って出かけた開高の姿である。

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