開高健は“裏部屋”希望、釣りを楽しんだ「環湖荘」 文豪が愛した温泉宿

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布団も敷きっぱなし

 一日の半分は釣りをしていたと小山内さんが言う。

「『寒くなったから帰ってきたよ』と仰って、宿に戻ったら直ぐにお風呂に入っていたんじゃないかな」

 夏でも暖房が必要なほどの高地ゆえ、湖の水もかなり冷たかったのだろう。一風呂浴びて、いざお楽しみの夕食は一般客に混じって食べたと続ける。

「食後は、私ら従業員の宿泊棟に顔を出され、囲炉裏を囲んで一緒に酒を飲みました。もっぱら釣りの話ばかり、気さくな人でしたよ。スタッフの中には、先生とは知らずに接した者もいましたし、小説家というより、しょっちゅう釣りをしてた人という印象でしたね」

 開高が朝食に来ない日は、従業員がお握りとおかずの盛り合わせを部屋へ持っていったというが、

「私らは部屋の中まで入ることはありません。開高さんは、『掃除はいい』『ゴミで死なないから』と仰っていてね。きっと布団も敷きっぱなしだったんじゃないかな。その後もちょくちょく釣りにはいらしていたんですが、珍しく仕事を抱えて滞在されたのは、30年くらい前でしたね」(同)

 平成元年に開高は58歳の若さで亡くなっているから、確かに最晩年の出来事だったと、小山内さんが話を継ぐ。

「湖が見える一番眺めがいい部屋をご用意したのですが、先生は『人に見られるのが嫌だ』と言われ、私らが“裏部屋”と呼んでいた部屋に泊まられました」

 小説を書く傍ら釣りもしたいと希望した開高は、10日間程の逗留を宿に告げていたが、早々に身支度を整え始めたという。

「『用事ができてしまって、帰らないといけない。1、2週間したら、必ずまた来るから、これを預かってて』と、万年筆と書きかけの原稿の束を渡されましてね。『これ、飲んで』と半分くらい残っていたブランデーの、カミュナポレオンブックを下さいました」

 と、振り返る小山内さんの記憶では、その後、開高が再訪することはなかったそう。体調不良で来たくても思いが叶わなかったのか。

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