「体罰は正しい」で坂上忍と大激論!「戸塚ヨットスクール」校長が振り返る“死亡事件”

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親たちの駆け込み寺

「今は、体罰に関して論議することすら封じられている。“体罰は悪”という前提からしか話は始められず、体罰賛成と言おうものなら魔女扱い。しかし、体罰の定義もできないのに、どうして体罰が悪いと言えるのか」――こう憤るのは、事件の主役となった戸塚宏氏(77)である。

 事件は、昭和55年(1980)から57年にかけてヨットスクールの訓練生に4人の犠牲者(うち2人は行方不明)が出たことを中心に、大小約40の「暴力事件」から成っているが、強制捜査のきっかけとなった事件が起きたのは57年12月のこと。当時中学1年生だった訓練生・小川真人君が訓練後に倒れ、運び込まれた病院で死亡したのだ。

 そもそも、50年、沖縄海洋博記念の「単独太平洋横断ヨットレース」で優勝した戸塚氏が、愛知県知多郡美浜町に「戸塚ヨットスクール」を開設したのはその翌年11月。当初はごく普通のスポーツクラブだったが、全寮制のスパルタ訓練が、登校拒否、家庭内暴力といった情緒障害児の治療に効果があることが分かり、これをマスコミが報じると、全国から治療依頼が殺到する事態となった。スクールは、学校などの教育施設では手に負えず、受け容れてもらえない問題児を抱えた親たちの駆け込み寺の様相を呈し、53年からは、この「ヨット治療」が本格化した。

 真人君が両親に連れられスクールを訪ねてきたのは57年12月初旬のことだった。

「身長は156センチほど、体重は40キロ前後、見るからにひ弱で、面接したコーチが“すぐに帰した方がいい”と言ったほどでした。しかし、ある大事な人から“頼む”と紹介されていたこともあり、入校させざるを得なかった」

 入校から1週間余り経った12月12日の朝、折からの強風に怯えた真人君は海に出るのを拒否した。

「私が引っ張り出そうとすると大暴れを始めた。これを認めたら治療は失敗するので、ヨットには乗せないまでも、海の上にだけは出そうと、救助艇に乗せて海に向かわせました。訓練が終了し、陸に上がると、真人君はフラフラになっていて焚き火の前にへたり込んでしまった。言うことを聞かないので、コーチが彼を焚き火から引き離し、海へ放り込みました。その後、海から引き揚げ、シャワーを浴びさせるためにコーチと訓練生2人が彼をシャワー室へ連れて行ったんですが、コーチは1人で帰ってきた。今から考えると、最後までコーチを付き添わせるべきでした。訓練生が何をしたのかは分かりませんが、“シャワールームで真人君がのびている”と言ってきた。慌てて駆けつけると、彼は失神状態でした」

 真人君は車で近くの病院に運ばれるが、日曜日だったため看護師しかおらず、その後、医師のいる県内の総合病院に搬送された。酸素吸入、強心剤投与などが施されたが、午後11時半、真人君は息を引き取った。司法解剖の結果、死因は「外傷性ショック死」と判断された。

「今では、その総合病院に運ばなければよかったと考えています。実は、強心剤が通常の倍量、投与されている。これは裁判で分かったことです。医師が法廷で“自分は半量投与と指示したのに、カルテでは全量投与したことになっている。これはカルテの間違い”と証言しているのです。でも、カルテの書き間違いなんてあり得ないでしょう。それに投与は皮下注射だったのですが、これについてもおかしな点がある。医師らは“治療を施す時には、すでに心臓が止まっていた”と主張しました。確かに真人君は失神していましたが、その後、我々が施した酸素吸入や心臓マッサージで息を吹き返しており、総合病院に運び込まれる際には、意識もあったのです。彼らの主張通りなら、そもそも皮下注射なんて効果はない。そこを質すと“それもカルテの間違い”と言うのです。“ヨットスクールが悪いに決まっている。全部スクールのせいにしたら皆が助かる”という感じでした」

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