「王貞治」対「ハンク・アーロン」ホームラン競争 真の勝者は

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判定を覆した外国人審判

「たしかに、少なくとも1本は、ポールの上を越えていく大きな打球があったのをおぼえています」

 と記憶を呼び起すのは、この競争でまさにライト側線審を務めた佐藤清次・元セ・リーグ審判員である。

「普通の試合なら、右翼線審はファーストベースとポールの中間あたりに立ちます。しかし本塁打競争の場合は、打球がファールか本塁打かだけを判定するので、ライトポールの真下に立っていたのです」

 つまり佐藤氏は、ファールと本塁打を見極めるうえで、最も近く、最も適した場所に立っていたわけだ。その佐藤氏がつづける。

「当時の後楽園のポールは短くて、その上を王さんの打球が通過していったんです。私は手を回して本塁打の判定をしました」

 しかし、ホーム方向に視線を移した佐藤氏は驚くべき光景を目にした。

「アーロンが球審を務めていた外国人審判となにやら話している姿が見えたんです。そうすると球審の手があがり、ファールに変えられてしまったんですね」(同)

 なんと、球場にも慣れた佐藤線審が明らかにホームランと判定したにもかかわらず、米国から帯同してきた大リーグのペレコーダス球審がファールにしてしまったのだ。

「私は一番近くで見ていたから見間違えることなんてないんです。その1球に関しては、間違いなくホームランでした」(同)

 最終ラウンドの王の大飛球。これは間違いなく、ホームランだったようだ。しかし、これだけではアーロン10本に対し王10本で引き分けである。一方で、峰氏はあくまで勝っていたのは王だと主張する。

「私はとにかく王さんに勝たせてあげたかったんです。それで王さんが好きな真ん中から少しインコース寄りの球を投げることに全力で集中しました」

 さすが「王の恋人」の峰氏である。針穴に糸を通すようなコントロールで投げつづけた峰氏は、もう1本の“幻の大飛球”である、3ラウンドの2打球目をこう記憶している。

「間違いなく右翼ポールを巻いていったんです。この時も、佐藤線審は手を回してホームランの判定をしていました。それなのに、球審が覆してしまったんです。私は長年、後楽園のマウンドで王さんのホームランを見てきたんだから、見間違えるはずがないんですよ。あれは世界のホームラン王であるアーロンを勝たせたくて球審が依怙贔屓したと今でも思っています」

 そう語る峰氏だが、ホームラン競争が終った後は、不思議と悔しさはなく解放感に満たされていたという。それは決して、この競争が花相撲だったからではなかった。後にアーロンの記録を抜き去り、日本、メジャーを通じて最多ホームランを記録する「世界の王」の名に相応しい、王の潔い態度があったからこそだった。

「球審が判定を覆した時、王さんは私を見て“いいよ、いいよ”と自身の顔の前で手のひらを振って見せたんです。それで“まぁ、いいか”と気持ちを切り替えられました」

 この競争から約2カ月後の正月、王から峰氏に連絡があり、多摩川グラウンドで落ち合った。王は封筒を手渡し、「ありがとな」とだけ言って去ったという。

「封筒の中には20万円の現金が入っていました。王さんは何も言わなかったけれど、あれは本塁打競争で投げたことへの謝礼だったんだと思います。それにしても、やっぱりあの競争のことは今でも悔しい。王さんは、どう思っているんでしょうね」

 当の王自身にも取材を試みたが、福岡ソフトバンクホークスを通じ、「コメントを辞退したい」旨のみの連絡が寄せられた。

週刊新潮 2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

ワイド特集「『世紀の事件』の活断層」より

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