23年を経て「尊師」から「麻原」へ “側近”たちの罪と罰

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“ドーベルマン”新実

 他方、その中川に対し、今でも麻原への帰依が抜けないのが、新実智光である。今回の移送で、大阪拘置所に移された。

 新実は2012年、当時アレフの信者だった女性と獄中結婚している。移送の翌日、新実に面会したその妻が言う。

「疲れていると思ったけど、とても元気でした。移送は前日の夕方5時にいきなり言われたそうです。大阪拘置所は現在建て替え中。“メチャクチャ新しいなあ”と感心していました」

 教団での地位は、自治省大臣。麻原の秘書役に加えて、信徒の強化や警備、軍事訓練、スパイ任務などに携わっていた。「帰依のミラレパ」と呼ばれるほど、教祖への忠誠心が強い人物であった。

 新実は1964年、愛知県に生まれた。地元の大学を卒業後、就職するが、やはりオウムのセミナーに参加。「神秘体験」を経て、退職、入信する。空手の経験者でもあった。

 坂本事件では長男・龍彦ちゃんを絶命させ、松本サリン事件では実行犯。地下鉄サリン事件でも、散布者を送迎する運転手役を務めた。教団最初の殺人事件では、信徒の首をボキッと折り、その他の信徒殺害事件でも、凄惨なリンチを加えている。死者数は26人と、麻原に続く人数を殺めているから、「もっとも血なまぐさい男」「ドーベルマン」などと言われたのも当然であろう。

 前出・野田氏が言う。

「新実は普段は気さくで明るい男でしたが、ノリの軽さがあった。そのノリの延長でスイッチを入れ替えることなく、凶行に及べるような一面を持ち合わせていました。だからこそ麻原も彼を重用したのでしょう。麻原に対して絶対的な忠誠心を抱いており、殺人の指令についても、ねっとり悩むことのない男でした。その点が中川とは異なります。新実がいなければ、教団はこれだけの凶行に及ぶことが出来なかったのではないかと思います」

 前出の藤田庄市氏も言う。

「月に1度ほどは面会に行っていましたが、事件や麻原についての質問は“さあどうですかね”とはぐらかし続けていました」

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