創業1959年に幕「天丼いもや」長蛇の列

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「えっ! なくなっちゃうの? “天婦羅いもや”さん。よく食べたのに!」

 そう慨嘆するのは、作家の譚ロ美さん。神田神保町の古書街を歩いた後、よく立ち寄ったそうだ。

「神保町のあちこちに“いもや”の名を冠した店がありました。天麩羅定食、天丼、とんかつ。私がよく行ったのは、靖国通りに面した定食屋さんと白山通り路面店の天丼屋さん」

 今回、3月いっぱいで約60年の歴史に幕を下ろすことになったのは、その“天丼いもや”の方。2月末、店頭に告知の貼り紙が出て以来、長蛇の列が途切れない。

 靖国通りに面した定食屋は6年ほど前に閉店。その裏手には、これまた数年前に店を閉じた“いもや本店”が移転して来て“神田天丼家”という屋号で営業中というから混乱する。よほどの“いもやファン”でも、いもや消長の歴史を正確に辿ることは難しい。

 いもやは、1959(昭和34)年の創業。ファンが多い割には、テレビなどマスコミへの露出が少なく、グルメ本にも登場してこなかった。今回の閉店で直営店は全て姿を消すことになるが、その理由は謎である。

「天麩羅定食は、当時600円。海老、鱚(きす)、烏賊(いか)、カボチャ、春菊の5種。天丼は、海苔の天麩羅が付いていました。どの店も蜆の味噌汁が美味しくて、白木のカウンターが気持ちよかった。ここ数年食べていませんでした」(同)

 そう語ってから数日。たまたまニューヨークから帰国した譚さん、いもや詣でに。

「昔と同じ味。美味しかった。メニューも変わらず「天丼」(600円)と「海老天丼」(850円)の2種類のみ。変わったのは、揚げている職人さんが歳とったことだけ」

 神保町から名物がまた一つ姿を消す。

週刊新潮 2018年3月29日号掲載

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