裕木奈江「23年ぶりの連ドラ」出演で蘇る女性誌バッシング報道

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「生理的嫌悪感」に基づくバッシング

 前出の記者に、当時の時代背景を語ってもらおう。

「今も芸能人のTwitterが炎上したりします。その是非はともかく、一応は理由のようなものが挙げられるわけです。ところが、この頃の裕木奈江バッシングは、全く理由がありませんでした。『とにかく嫌い』という女性の本音が爆発したんですね」

 直接的な理由はなくとも、背景は存在する。「女性の社会進出」だ。改正男女雇用機会均等法の施行は86年4月。「女性総合職」という新しい働き方が誕生し、「キャリアウーマン」が流行語となった。

「ハーバード大学卒業後、東大法学部に学士入学し、外務省に入省したというスーパーキャリアウーマンである雅子さまが皇太子との結婚を決断、共に記者会見を開かれたのが93年1月です。その約6か月後に『ポケベルが鳴らなくて』がオンエアされました。時代の玩具として恰好の餌食になってしまったわけです。そういう意味では不運な女優でしたが、その後も息の長い活躍を続けます」(前同)

 その一方で裕木奈江は、秋元康サイドとの訴訟(94年)が芸能マスコミを賑わせ、ヘアヌード写真集を発売(99年)し、略奪婚騒動(同年)が話題になったこともあった。そして99年、結婚を機にロサンゼルスへ移住。 04年9月から1年間、文化庁の新進芸術家海外研修制度を利用し在外研修生としてギリシャに国費留学。雌伏の時を経て、06年、突然、クリント・イーストウッド監督(87)の映画「硫黄島からの手紙」に、NAE名義で出演して話題となる。

 さらにデヴィッド・リンチ監督(72)の映画「インランド・エンパイア」(日本公開は07年)とテレビドラマ「ツイン・ピークス The Return」(17年)にも出演するなど、着実に女優としてのキャリアを重ねた。つまり今回は、いわば“凱旋帰国”のような形で、日本の連続テレビドラマに出演したわけだ。

 しかし一部報道では、「視聴率の好転は難しい」と悲観的に予測する。なれば裕木奈江は演技力を見せつけるしかない。ドラマの時間軸では既に自殺しているという役どころなので、回想シーンの出演が中心となる。ひょっとすると出番も少ないのかもしれないが、バッシングで溜飲を下げたアラフィフにリベンジできる好機であるのは確かだ。誹謗中傷に耐え抜いた女優魂が試されることになる。

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週刊新潮WEB取材班

2018年1月23日掲載

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