佐藤栄作は腰にタオルで…大平正芳が舌鼓を打ったお膳と熱燗 宰相たちが愛した「名湯」「隠れ宿」

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大平正芳の話し相手を

 大蔵官僚時代の福田赳夫も、戦後、焼け野原となった富山の街を視察した折りに延對寺旅館へ1週間滞在したそうだ。

 これだけの宰相と直接会っている女将は、章子さんくらいだろう。そんな彼女は、特に印象深い人物がいたとしてこう明かす。

「吉田さんも、岸さんも、佐藤さんも、池田さんも、みんなお偉い方ですから、恐れ多くて、私から話なんてできませんでした。でも大平さんは、ほんとうに偉ぶらない方でしてね」

 日本政治史上、宰相の座を巡って最も激しい派閥抗争が繰広げられた「大福戦争」。その激闘を制した大平正芳は、総理就任の翌年、昭和54年冬に宇奈月へと足を延ばしていたのだ。

「翌日の会合のため前泊なされましたが、とっても寒い日でした。ご到着が午後7時と遅く、お疲れの様子でしたので、直ぐに温泉に入って頂きました。浴衣姿で『疲れがとれたよ』とおっしゃっていました。お二人お付きの方がいましたが、夕食の時には大平さんは部屋におひとりでしたので、私が話し相手をさせて頂いた。『寒くなりますと海の水が冷たくなって、お魚が美味しいんですよ』なんてね」

 と微笑む章子さんは、テーブルに、蟹や昆布じめ、つぶ貝の煮つけ等、富山自慢の味を並べたと振り返る。

「こちらの地酒・銀盤は二日酔いにならないんですよとお勧めしましたら、熱燗にして2合ほど飲まれました。私がうっかり『おうちはどこですか』と聞いてしまっても、『東京のね、世田谷区の瀬田だよ』とお答えくださって。大平さんはなんでも話せる方で、冗談も言う、愉快な方でした」

 気持ちが通う会話だったのだろう。女将が総理に「なにか描いてください」とお願いすると、「硯を持っていらっしゃい」と、色紙に立山の風景を描いてくれたそうだ。ただその色紙は地元後援者が持ち帰ったのだと、章子さんはとても残念そう。

 翌朝8時、大平は大勢に囲まれて延対寺荘を発った。その顔は、章子さんに見せた柔和な表情ではなく、「讃岐の鈍牛」と称された総理の威厳に満ちていたという。

 現在、高岡の延對寺旅館はなくなり、宇奈月温泉の延対寺荘のみ営業している。宰相が泊まった部屋や風呂は旅館の建て直しの時に取り壊されたが、お風呂などから眺める黒部峡谷の風景は変わることはない。黒薙温泉から引いている源泉も同じで、毎分2000リットルと圧倒的な湧出量を誇る。弱アルカリ性単純温泉は、両手ですくいあげると手相がくっきり見える程に透明感があり、まろやかで優しい。

 そんな湯を堪能し、大平が舌鼓を打ったお膳と熱燗にした地酒を頂けば、大平と章子さんの当時の会話が聞こえてきそうだ。

(3)へつづく

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山崎まゆみ(やまざきまゆみ) 温泉エッセイスト。1970年新潟県生まれ。国交省任命「VISIT JAPAN大使」。跡見学園女子大で「温泉と保養」をテーマに講義中。著書に『だから混浴はやめられない』『続バリアフリー温泉で家族旅行』など多数。

週刊新潮 2018年1月4日・11日号掲載

特別読物「厳寒の冬に泊まってみたい! 宰相たちが愛した『名湯』『隠れ宿』――山崎まゆみ(温泉エッセイスト)」より

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