チェ・ゲバラと共に戦った“知られざる侍”フレディ前村 医療箱を持った戦士の最期

国際週刊新潮 2017年12月28日号掲載

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没後50年「チェ・ゲバラ」と革命戦に散った日系人の壮絶人生――伊高浩昭(下)

 日本キューバ合作映画「エルネスト もう一人のゲバラ」でオダギリジョーが演じたのは、チェ・ゲバラの部下だった日系2世のゲリラ「フレディ前村」だった。ジャーナリストの伊高浩昭氏が、この知られざる「侍」の生涯に迫る。

 ボリビア出身のフレディが、医学留学生としてキューバを訪れたのは1962年。ゲバラが希求した革命家の理想像「新しい人間」の考えに傾倒した彼は、ボリビア遠征部隊に参加することとなった。

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 1964年11月、ボリビアで軍事クーデターが起き、バリエントス軍政が発足した。ゲバラはこの事態を、同国でのゲリラ戦展開に格好の状況と見なした。ゲバラはキューバを65年4月に出国しコンゴ内戦に参戦した後、タンザニア、チェコ、コロンビアと身を置きながら戦略と戦術を練っていた。キューバでは65年10月から、ボリビアに遠征するゲリラ戦士候補の訓練が始まっていた。戦士候補になったフレディは、奨学生の身分を返上する。66年7月、キューバに戻ったゲバラは、ゲリラ部隊の訓練を自ら指揮した。

 フレディは66年10月、医学履修課程を退学、ボリビアに向け極秘裡に出発することになる。キューバには、フレディが思いを寄せるボリビア人女子医学生リディア・カルデロンがいた。ボリビア人留学生仲間から孕まされ、放置されて女児を産んだリディアを、フレディは「人間的立場」から支援し、将来再会できたら一緒になろうと求婚していたのだ。そんな彼女を残しての出発であった。

 こうして祖国に密入国したフレディだったが、やはり家族は気になった。他人を装い実家に電話、応対した弟に家族の消息を訊いている。胸が張り裂ける思いだったろう。

 11月末、戦域となるアンデス前衛山脈の渓谷地帯ニャンカウアスーの野営地で、フレディはゲバラと先遣隊同志らに迎えられる。ゲバラはその日の日記に「ボリビア人も1人到着した。エルネストという医学生だった」と記している。

 ニャンカウアスー一帯は標高2000メートル級の連山、垂直の断崖絶壁、深い渓谷、渡河困難な急流だらけで、前進するにも退却するにも厳しい地形だ。農家もまばらで、食糧調達も容易ではなかった。数少ない「隣人」の中には陸軍や警察に通じる危険人物が混じっていた。だが兵站、都市支援網など後方態勢を整えるのに時間がかかるため、ゲバラは部下たちが選んだ戦域が最良の場所でないと知りながら、結局、受け入れざるを得なかった。

 さらに頼みのボリビア共産党は、キューバ危機を契機に強化された米ソ平和共存路線に忠実な指導部の支配下にあって、ゲバラ部隊への組織的支援を拒否した。党青年部に籍を置いていたフレディは、そんな指導部を誰よりも激しくなじったという。

 ゲバラはキューバ人とボリビア人が中心の当初43人のゲリラ部隊を前衛隊、本隊、後衛隊の3隊に分け、自身は本隊を率い、フレディは後衛隊に配置された。ライフル銃を持ち、医療箱を入れた背嚢を背負うゲリラ戦士フレディの革命戦争の日々が始まった。

壮絶な最期

 ゲバラは1967年7月、ボリビア政府軍にゲリラ戦を仕掛ける方針だった。だがゲリラ部隊は不注意から存在を察知され3月、早すぎる戦闘突入を余儀なくされる。ただ緒戦の小競り合いは、フレディ前村らゲリラコマンド8人による待ち伏せ攻撃により、政府軍兵士12人を殺傷、13人を捕虜にし、作戦としては大成功を収めた。

 この時、フレディは初めて敵兵に向け銃を撃った。そして戦闘終了後は直ちに、負傷した敵兵の手当てに従事している。これは、キューバ革命のゲリラ戦時にカストロがゲバラら医師資格を持つゲリラに命じていた鉄則だった。ゲバラはこれをフレディにも命じていたのだ。ゲバラは、戦闘の洗礼を受けたフレディを一人前のゲリラ戦士と認めた。

 しかし緒戦の勝利は政府軍を慌てさせた。支援要請を受けた米軍はゲバラの存在を確認すると、ボリビア軍にゲリラ部隊を包囲させる。そしてゲリラ側にとり致命的となったのは、4月半ばの行軍だった。ゲバラは後衛隊と再会する場所を決めないまま、前衛隊と本隊を引き連れて出発、双方は再会することなく制圧されてしまう。

 フレディら後衛隊の9人は8月31日、政府軍の罠にはまり急流での渡河をせざるをえない状況に追い込まれる。両岸に待ち伏せしていた政府軍が急襲。急流に巻き込まれ岸辺に打ち上げられたフレディは捕らえられ、激しく拷問された。

「目撃者らの証言によれば、フレディは威厳を失わず拷問にも屈せず、至近距離で撃たれ壮絶な最期を遂げたということです。撃った兵士は何と、フレディが少年時代に故郷トゥリニダーで食べ物や衣服を与えていた貧しい家庭の少年でした。この兵士は顔見知りのフレディを〈成金の東洋人の息子〉と罵り、処刑役に指名されたと聞いています」

 結局、寝返った1人を除く8人が殺された。 

 フレディの姉で『革命の侍』の著者・マリー前村の話だ。

「立派な医師になって帰国し、医療機会に恵まれない人々を救済すると言っていたのに、キューバへの出発を空港に見送ったのが永遠の別れになってしまいました。私たち遺族は、ストイックすぎたフレディを侍になぞらえて〈革命の侍〉と形容したのです」

 マリーは映画「エルネスト」の完成を楽しみにしながら、その願いは叶わず、2015年6月、急な病に倒れ死去した。阪本監督は17年11月、ボリビア・ラパスでの上映会に前村一族を招いた。「エルネスト」を鑑賞した一族は涙を流し、監督に深い謝意を表したという。(敬称略)

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伊高浩昭(いだか・ひろあき)
1943年生まれ。ジャーナリスト。元共同通信記者。著書に『チェ・ゲバラ―旅、キューバ革命、ボリビア』(中公新書)など、『キューバと米国』(LATINA)が来春刊。

特別読物「映画『エルネスト』で脚光! 没後50年『チェ・ゲバラ』と革命戦に散った日系人の壮絶人生――伊高浩昭(ジャーナリスト)」より