虚飾と真情の間を生きた激動の人生/『レマルク』

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 新潮文庫の海外文学にはかつてずいぶんお世話になった。ちょっとした個人全集並みに、欧米の作家の小説が揃っていた。それも今は寥々たるものである。
 いまだ在庫が途切れずサバイバルしている一冊に『西部戦線異状なし』がある。その作者レマルクの評伝が本書である。「最も読まれ、最も攻撃され」ながら、革命と戦争と映画と性愛の20世紀を、虚飾と真情の間をたゆたい、華やかに生きた作家の人生が堪能できる。
 文庫本のカバーには、ヘルメットの隊列から一人の兵隊が後ろを振り向く姿が描かれている。一九二九年に出版された小説は、ハリウッドですぐに映画化され、アカデミー賞を受賞した(日本では「キネ旬」ベストテン第一位)。その映画の印象的シーンをイラスト化したものだ。
 とてつもない物量戦が展開された第一次世界大戦、その悲惨な戦場を、最前線の塹壕から、敗戦国ドイツの十代の学徒兵の目で描いて、全世界で二千万部以上が売れた。
 極東の戦勝国日本でもすぐに、秦豊吉訳が中央公論社から出版された。日露戦争の戦記『肉弾』の作者桜井忠温は、陸軍省新聞班長の要職にあったが、読後感を書くにあたり用心深く、横須賀線の一台の車両で三人の乗客が『西部戦線』を読みふける情景をまず伝えている。「生きて帰りや何よりだ」という「アケスケ」な主人公は、軍にとっては都合のよくない存在だったからだろう。

 日本海海戦の戦記『此一戦』の作者水野広徳はすでに海軍を退役して評論家に転じていたが、「我国には軍人精神鼓吹や、好戦心理養成」の本ばかりなので、「戦争の真実を知らんと欲する人は必ず本書を読むべき」と推奨している(ともに「中央公論」昭和四年十一月号)。
『西部戦線』の書籍広告には「賜秩父宮殿下台覧」と大書されていた。取扱要注意本の宣伝に皇室をちゃっかり利用するとはふてぶてしい商魂だが、案の定、その筋からお叱りを受けたという。
 秦は知人を介して献上したのだが、すでに読了していた秩父宮は、弟の高松宮へ回すようにと沙汰した。秩父宮は当時陸軍大学校在学中で、第一次大戦の戦史を研究中だったから、いち早く読破して感じるところがあったのだろう。それだけ問題の書だったのだ。
『西部戦線』にこだわりすぎたが、レマルクはこの一冊によって、復員兵のスポーツ誌記者から、世界のセレブの仲間入りを果たす。まだ三十歳を出たばかりだ。
 さっそくノーベル賞候補に取り沙汰される。文学賞ではない、平和賞である。受賞したのは、不戦条約にその名を残すアメリカの国務長官ケロッグだった(ちなみにこの年のノーベル文学賞はトーマス・マンである)。
 レマルクは祖国ドイツから激しい攻撃にさらされる。ナチスは『西部戦線』を「戦死者に対する遺体陵辱の本」だと非難した。ゲッベルスは映画の上映を妨害して中止に追い込み、裏ではナチスへの協力を強要してきた。ヒトラーが政権を奪取した後は、焚書である。
 危険を察知したレマルクは、愛車を駆ってスイスへと逃げ込む。国籍は剥奪され、さらなる危険を感知すると、第二次大戦勃発を見越して、アメリカへと亡命する。
『西部戦線』によって成り上がってからのレマルク伝は、「政治」や「文学」以上に「恋愛」の比重がぐっと高まる。無名時代に爵位を金で買ったりしたスノッブな資質が全開になるからだ。
 しかも、その恋の相手たるや。マレーネ・ディートリヒであり、グレタ・ガルボであり、ロシア皇帝の孫ナターシャ公女でありと、目が眩むような伝説の美女揃いである。性格も容姿に比例するように激しい。レマルクは振り回される。大胆にも恋は同時進行だったりする。関係が終わっても連絡しあう。その間の経緯は、著者が読み込んだ未刊行の日記に詳しく綴られていて興味が尽きない。
 なかでも辟易とさせられるほどの「可愛い女」はディートリヒだ。ある時は「人はなぜ、セックスなしに真に愛せないの」と問いかけ、ガルボに嫉妬して「梅毒持ち、乳癌」と罵倒する。『砂塵』で共演してお熱になった年下の好青年ジェームズ・ステュアートとの子を堕胎したことを涙ながらに告白する。その激情を受けとめる相手がレマルクなのだ。
 一九四一年夏、独ソ戦が始まった日、レマルクはディートリヒやガルボから届いた四十三歳の誕生日プレゼントを見ながら、「混乱する世界での自らの自覚なき生き方に再び嫌悪感を覚えるのだった」。だが、と著者は続ける。「反省はあっても実行が伴わなかった」。
 レマルクはドン・ファンではなくフェミニストだと著者は見る。「離婚した前妻がナチスの網の中に搦め捕らえられないようにと再度結婚するレマルクの行動にその証左を読み取ることができる」。
 レマルクをめぐる女性で、逸してはならないのは、実妹エルフリーデだろう。彼女は戦争を非難したという理由で戦時利敵行為罪に問われ、一九四三年にベルリンで処刑された。兄の身替わりのような死。この悲劇を亡命中のレマルクは知っていたのか。二十年前に新潮学芸賞を受賞した『ドイツ 傷ついた風景』(いま読んでも敗戦国が歴史問題にどう取り組むか、示唆する点が多い)以来の著者のレマルクへの関心の出発点である。
 レマルクは三度目の結婚で年貢を納める。相手は女優のポーレット・ゴダード。チャップリンの元妻であり、「モダン・タイムス」、そして何よりも「独裁者」のヒロインであることに因縁を感じる。

[評者]平山周吉(雑文家)

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