「長嶋茂雄」中華料理屋“お会計事件” 「せんだみつお」が語る昭和のスター列伝

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せんだみつおが見上げた昭和のスター列伝――長嶋茂雄(後編)

“千に三つしか(せんみつ)本当のことを言わない芸人”せんだみつお(70)が「ミスタープロ野球」長嶋茂雄(81)の知られざるエピソードを明らかにする、いよいよその後編である。2人が出会ったのは1989年のこと。連絡先を聞かれたせんだが自宅の電話番号を紙に書いて渡すと、長嶋氏はそれを背広のポケットに入れて「イン・マイ・ポケット~」。初対面から“英語変換トーク”を披露したという。「僕にとって長嶋さんは神」と語るせんだの口から、さらにどんなエピソードが飛び出すのか。

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――長嶋さんの野球の話をしましょう! 現役時代のプレーだと、どんなものが印象に残ってますか?

せんだ やっぱりね、敬遠、敬遠が続いたことに怒ってバットを持たずにバッターボックスに立った事件かな。普通、立たないでしょ、バット持たずに。

――長嶋さんはそうやって抗議した後も敬遠されることが多くて、あるとき、敬遠の球なのにバットを振って、ヒットを打っちゃったこともあるという。あとは三角ベース事件もあったし、ホームスチールも何度か試みている。

せんだ 長嶋さん、とにかく足が速かったからね。あとは、これも誰もが強烈に覚えていることだと思うけど、ヘルメットがポ~ンと宙に舞う、あの豪快な空振りね。僕がご本人に聞いたところによると、(今日、このピッチャーには勝てないな)というときには、ひと周り大きめのヘルメットを被るんだそう。「そうすると空振りしたときにヘルメットが飛んで、かっこいいでしょ~」って。

――あれ? 僕はどこかでひと周り小さなヘルメットを被ったと読みましたよ。被りが浅くてすぐ飛んでいくからと。

せんだ 僕は大きめのって聞いた記憶があるけど、勘違いかな? まあどっちにしても、そんなことを考えること自体が長嶋さんの不思議さ、おもしろさであってね。でも、それもこれも、長嶋さんが最も重視していたのがお客さんに“みせる”ことだったからなんだよな。観劇とかの“観”と魅力の“魅”の両方を兼ねた“みせる”ね。長嶋さんは野球の天才であると同時に、ある意味、ショウマンでアーティストでもあったってことだよね。

――しかもそれって、プロデビューする前の立教大学のときからだったんですよね。六大学野球時代、すでに大リーグのプレイをかなり意識していたという。

せんだ 長嶋さんを鍛えた立教の監督の砂押さんがまた、そういう考えの方だったからね。

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