「日航機」御巣鷹山墜落 搭乗を間一髪逃れた人々がその後の人生を語る

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“残念やなあ”

 羽田空港に着いたのは17時半頃。18時発のJAL123便はあいにく満席だったが、あわよくばと、空席待ちの列に並ぶことにした。

 当時は、チェックインカウンターとは別に全路線の空席待ち専用窓口があった。そこで発行される路線別の整理券を受け取ったあと、チェックイン・ブースで待つという流れである。

 大西が手にした整理番号は5番。手荷物を2つ持って並んだ。見上げると、運航予定を示す案内板の〈18時発JAL123便〉のところには、“案内中”のランプが点滅していた。

 空席待ちの客が呼び出されるのは出発の20分前、つまりチェックインを締切ったあとである。

 大西は、空席待ちの客が1人また1人と呼ばれ、手荷物検査場に吸い込まれていくのを眺めながら、自分の番号が呼ばれるのを待っていた。だがしばらく後、「空席待ちのご案内は以上です」と宣告された。

 次の瞬間のことは今でも鮮明に覚えている。

「僕のすぐ前の人で、ぎりぎりで乗れなかった男性と顔を見合わせて苦笑いをしたんです。“残念やなあ”と言い合って。50代の丸顔の人だったと思います」

 当時大西は45歳。「若気の至り」と振り返るが、何としてもその便に乗りたかった彼はあきらめきれず、その場にいたJALのグランドホステスに悪態をついた。

「飛行機というのは、VIP用に2席ぐらい空席を用意していると聞いたことがある。何とかならんのか」

 しかし、相手は曖昧な笑みを浮かべたまま、「満席です」と繰り返すのみ。大西は、空席を待っていた客のうち3人が搭乗したのを確認している。あと30分早く空港に着いていれば自分が乗客になっていたかもしれない。大西は仕方なく、次の伊丹便である18時30分発「東亜国内航空207便」に搭乗。同機はトラブルもなく伊丹空港に着陸した。この時、すでに123便の機影消失の速報がテレビで流れていたが、少なくとも大西の耳には入っていない。

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