眞子さまとご婚約、小室圭さんを強くした父の悲劇 「お母さんは僕が守る」

社会週刊新潮 2017年6月1日号掲載

■1人で出ていって…

 一家をよく知る、自宅近くのある飲食店主が言う。

「圭君は小学校に上がる前から、お父さんとお母さんに連れられ、私の店に来てくれていました」

 父親は大学の理工系学部を卒業後、1988年に横浜市役所に採用され、以来、技官として勤務していた。小室さんが生まれたのは91年10月。が、彼が小学校に入学して数年後、

「お父さんは体調を崩してしまい、一時期、藤沢市にあった実家に帰っていました。その後、再び自宅に戻って家族と住んでいたのですが……」(同)

 そして02年3月、佳代さんと小室さんが就寝中のことだった。

「佳代さんが言うには『突然、夫が1人で家から出ていった。悪い予感がしたので圭を連れて探しに行ったら、近くの河川敷で亡くなっていた』とのことでした。お父さんは、自ら命を絶ってしまったのです」(同)

 横浜市役所の元同僚も、こう振り返る。

「小室さんは建築職吏員で入庁し、『みなとみらい21』の事業にも携わっていました。明るくて声がよく通る男でしたが、亡くなる前は欠勤がちだったような記憶があります。職場では『何であいつがこんなことに』と、みな悲しんでいた。通夜で会った息子さんはまだ小さく、彼が今回のお相手だとは全然知りませんでした」

 葬儀では、現在横浜市の重職にある男性が弔辞を読み上げた。ほどなくその父、つまり小室さんの父方の祖父も、失意のまま亡くなったという。

 こうしたことが重なり、

「佳代さんは小室家との関係がこじれ、一時は連絡できないほどまで悪化しました。生活が苦しくなる中、藁にもすがる思いだったのでしょう。彼女は私に、先方との関係を修復する仲介役を頼んできました。親しくさせて頂いていたので、私は『委任状』のような書類を持って、請われるまま親族の家に出向き、佳代さんに代わって話し合いの席に着いたこともありました」(先の飲食店主)

 まもなくトラブルは収まったというのだが、こうした苦境において、親思いで優しい小室さんの心根が育まれていったのは疑うべくもない。ひとえにご多幸を願うばかりである。

特集「『眞子さま』祝砲の不協和音」より

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