高樹沙耶「大麻と私」全告白(下) 保釈までの3カ月、身体検査は「屈辱的なものでした」

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■保釈されるまで3カ月

 初公判は、今年の1月23日に開かれた。那覇地裁の正門前には大勢の報道陣が待ち構えていたため、裏口から入りました。

 午前10時から始まった法廷で、久しぶりに森山さんと顔を合せた。検事が起訴状を読み上げると、裁判長から「読み上げられた事実に間違いはありませんか?」と訊ねられました。「大麻は私が所持していたものではありません」と答えた。続けて、検事から「どうして、大麻を使用していたのか?」という質問もあった。それには「医療目的でした」という返事をしました。

 初公判が終わり、ようやく保釈が認められた。石垣島には戻らず、那覇市内の友人宅に身を寄せました。

 第2回公判は、2月6日でした。検事は、「なぜ、大麻の法改正運動をしているのか?」と訊ねてきた。私は、「大麻の完全な合法化ではなく、医療用での解禁と、それに向けた啓蒙活動をしています」と答えました。

 3月16日の第3回公判で結審し、検事は大麻に対する依存性は明らかであるとして、懲役1年を求刑した。

 私は判決を待つ身となりました。ずっと大麻所持は否定してきましたが、3カ月も保釈が認められなかった時点で、無罪にはならないと諦めていました。

 私は、30代前半のころに持続可能な社会というものに関心を持ち、結果的に、大麻にも目が向くようになった。その後、37歳からの4年間をハワイで暮らし、フリーダイビングで筋肉痛になると医師から処方された大麻を吸引したり、大麻入りのクリームを塗ったりしました。すると、硬くなった筋肉が緩み、リラックスできた。老化が進めば神経痛などで身体の節々が痛むことがありますが、鎮痛作用のある大麻が効果的だったりするのです。

 大麻をルーズに使用する人たちばかりがクローズアップされ、悪というイメージが定着してしまっていますが、大麻を医療あるいは産業の面から見直すべきではないかと考えていました。

 でも、私にはもはやそれを説く資格はありません。

 大麻に関係する活動の一線からは、手を引くつもりです。これからは「虹の豆 浮世離れ」を女性のためのリトリートセンターのようなものに造りかえる仕事をしたい。そして、もし望まれるならもう一度、女優業に取り組みたいと思っています。

独占手記「判決下る!『なぜ禁断の実に手を出したのか』 『大麻と私』全告白 元女優 高樹沙耶」より

週刊新潮 2017年5月4・11日ゴールデンウイーク特大号掲載

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