ホンダの社史には記されない、ヤマハとの「HY戦争」 原付バイク覇権争いの勝者は

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■ホンダの身から出た錆

 この激戦、実はホンダの社史「語り継ぎたいこと」にはない。存在しない戦争に話すことはない、というのが今もホンダの立場だ。

 一方、昨年、創立60年を迎えたヤマハ発動機の柳弘之社長はコメントを寄せた。

「1970年代後半、国内二輪車市場が拡大の機運を見せる中、当社は『HY戦争』と呼ばれるホンダとの過激なシェア争いに突入。その結果、待ち受けていたのは過剰な在庫と、大きな損失だった。(中略)ヤマハ発動機がこれからも成長していくためには『顧客本位の仕事をし続けていく事』に尽きると考える」

 元ホンダの入交があらためて振り返る。

「技術の本田宗一郎さんと共に経営を担った藤沢武夫さんが晩年まで言っていたのは、宗一郎さんが空冷に拘(こだわ)って昭和44年に発売した乗用車“ホンダ1300”の失敗がHY戦争の原因だ、と。その赤字を埋めるため、米国でCB750の値段をつり上げていった。それがヤマハ他3社が安いバイクで米国に進出するきっかけとなり、そこで力をつけてきたヤマハが夢を見た。結局、ホンダの身から出た錆……」

 経営度外視の愚かな戦い、と片付けるのは容易(たやす)い。しかし、復興を担った戦後生まれの企業同士が、メンツを賭け雌雄を争った。まだまだ熱かった日本企業の裏面史である。(敬称略)

特集「ダンピングとリベートの嵐! 原付バイクの覇権を争ったホンダ・ヤマハ『HY戦争』血風録」より

週刊新潮 2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

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