塩野七生、自著のアマゾンレビューへの返答 「歴史にイフはあって良い」

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■想像の愉しさ

古代ギリシアの歴史年表

 アルキビアデスとは、『ギリシア人の物語』第2巻の後半の主人公としてよいくらいにギリシア史では重要な人物ですが、この男にイタリア人の学者は、『カーネ・ショルト』という渾名をつけた。『鎖でつながれていない犬』という意味です。誰か手綱をとる者がいたらスゴイことをやっていただろうという意味をこめて。

 ただし、アルキビアデスをつないでいる鎖は、つながれていることがいっさい感じられないほどに長く、しかも目に見えるようでは役に立たない。何をどうやるかはいっさい自由でないと、彼が断ち切ってしまうでしょう。

 ペリクレスがあと10年生きていたら、その役割はできたかもしれない。なにしろ彼が死んだ年にはアルキビアデスは20歳で、30にならないと国家の要職につけないのは、アテネの決まりでした。だから、父親代わりでもあったペリクレスがあと10年生きていたら、この異才のキャリアの始めぐらいは制御できていたかもしれないのです。

 また、時代のちがいなどは無視して、アルキビアデスがアレクサンダー時代の人であったとしましょう。

 相当に巧みな人材活用者でもあったアレクサンダーならば、やれたであろうと思います。おれは東に向うから、おまえは西に行け、とか言われて。

 これだと、来られた西方の国々は大変なことになっていたでしょう。この時代のローマは、山岳民族のサムニウム族との間で50年もつづく死闘の真最中で、イタリア半島の制覇すらやりとげていなかった。

 しかし、歴史家ツキディデスによれば、シチリアどころかカルタゴまで視界に入れていたというアルキビアデス。後の大帝国ローマにとっては、大王アレクサンダーが東に行ってくれたことが幸い中の幸いになるのですが、その大王の部下にアルキビアデスがいなかったことも幸いであったでしょう。

 部下を使いこなす名人だったユリウス・カエサルの許であれば、相当な働きができたにちがいありません。きみには、ブリタニア征服をまかせるとか言われて。

 もしもアルキビアデスがブリタニアの制覇に成功していたら、後のイングランドがローマの属州になるのに、クラウディウス帝による100年後まで待つこともなかったのでした。

 なぜ、アレクサンダーとカエサルならば彼を使いこなせたのか、ですが、それは、戦略戦術の分野では大変な自信家であったアルキビアデスが頭を下げる、つまり鎖につながれる、としたらこの2人しかいないからです。

 それに、この2人とも、彼ら自身の才能にはゆるぎない自信を持っていながら、他者にまかせることも知っていたリーダーであったからでした。

 しかし、この辺りまでくると、完全に想像(ファンタジア)の世界。

 でも、それだからこそ愉しいのです。

『イフ』を解き放してこそ、歴史は生き生きとしてくる。だから、面白くもなる。それなのに『禁句』にしつづけるのでは、もったいないだけだと思うんですが。

 歴史とは、人間たちが作りあげた物語です。だからそれに接するには、人間らしく素直に接するのが一番だと思う。あの無名のレビューのように」

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特別寄稿「塩野七生『ギリシア人の物語II』刊行! 後編 もし歴史に『イフ』があったら」より

週刊新潮 2017年4月13日号掲載

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