驚くことはない「民主主義」が生み出したトランプ現象

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ドナルド・トランプ

■民主主義が生み出した「トランプ現象」(1)

 何だかんだ言って、結局、「常識」が勝利するに違いない。だが現実は、「非常識」が呵々大笑した――。デモクラシーの国である米国で一体何が起きたのか。世界が戸惑うなか、京都大学名誉教授の佐伯啓思氏は、民主主義が招いた当然の現象だったと分析する。

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 4年前の1月、私は本誌(「週刊新潮」)で、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった「大阪維新の会」の橋下徹氏が、民主主義下で独裁を掲げながらなぜ選挙で勝てたのかについてこう言及しました。

〈民主主義と独裁。/一見、両者は矛盾したものに見えるかもしれません。しかし、「橋下現象」は矛盾でも何でもなく、混沌とする世界情勢の中にあって、今後、世界中で起こるであろうことの、むしろ先駆けではないかと、私は考えています〉

 幸か不幸か、現実はやはり「独裁的」な指導者を生み出しました。それもデモクラシーの国、米国で――。

〈トランプショック〉

〈トランプ革命〉

〈トランプ悲劇〉

 米国大統領選の結果を受け、動揺が広がっています。私自身、最終的にはヒラリー・クリントンが勝つと思っていました。しかし、この結果にそう驚いていないのもまた事実です。それどころか、皮肉を込めて言えば「これで良かった」とさえ思っています。なぜなら、「民主主義」や「グローバリズム」、すなわち「米国型世界観」にまつわる諸問題が浮き彫りになったと思うからです。

■極めて民主主義的な現象

 まず大事なのは、強引かつ過激であり、「民主的」なイメージとはほど遠いドナルド・トランプが大統領選で勝利したのは、決して反民主主義的ではなく、極めて民主主義的な現象だということです。民主主義、つまりデモクラシーが、大衆(デモス)による統治(クラティア)である以上、大衆の熱狂によって指導者が選ばれるのは至極当然の帰結と言えます。

 そして、トランプの勝利をもたらしたものは大統領選の劇場化でしたが、これは民主主義の本質とさえ言ってよいでしょう。トランプが「実に不快な女」と口撃したかと思えば、クリントンも「プーチンの操り人形」と応戦。その昔、ローマのコロッセオでは剣士たちによる剣闘を観衆が楽しんでいましたが、今度の大統領選は、言わば「超野獣」と「野獣」の闘いを見世物にしたようなものだったと言えるでしょう。「デモス・クラティア」では、より過激な闘いに有権者という名の観衆は熱狂していくものなのです。

 こうして、今回の大統領選を含め、昨今の民主主義はポピュリズムと評されていますが、米国においてはふたつの意味を孕(はら)んでいると言えます。

 ひとつはまさにポピュリズム。米国にはこの「伝統」があります。19世紀後半に、人民党(ポピュリストパーティー)という政党が誕生しました。この党は、それまで米国の中心を担っていた農家の不満を掬(すく)い上げました。産業革命の結果、新たな製造業が勃興し、農家の生活は苦しくなった。悪いのは利益を貪(むさぼ)る中央の製造業であり、それを援助している政府だとして、当時の「ポピュラーな農民や市民」の不満をもとに、人民党は一定の勢力を得たのです。

 この伝統を受け継ぎ、トランプも「人民党的」な支持を集めました。当時と今の米国の構造は似ていて、IT・金融業が大手を振り、自動車産業を中心とする製造業は衰退。自動車産業の従事者は、「今まで米国を支えてきた俺たちをどうしてくれるんだ」と不満を募らせている。こうした不満を、トランプは拾い上げたわけです。

 もうひとつはポピュラーイズム、人気主義です。トランプは「偉大な米国を取り戻す」という言い方で、「俺が大統領になったらお前たちの問題を全部解決してやる」と、大衆に餌を配るような形で人気を集めました。古代アテネでは、陶片追放(オストラキスモス)の名のもとに政治家がパージされ、大衆の意に沿わない政治家は、常に引きずりおろされるリスクを抱えていた。民主主義は、そもそも大衆迎合せざるを得ない面を持っているのです。

 トランプ現象とは、米国に根づく人民党的な人民反乱とでも言うべきポピュリズムと、人気投票的なポピュラーイズムの両面を併せ持った現象でした。

■米国に定着したポピュラーイズム

 しかし、米国の政治体制は、本来はポピュリズムやポピュラーイズムを警戒したものであったことは覚えておくべきでしょう。連邦政府を作った思想家であるアレクサンダー・ハミルトンやジェームズ・マディソンらフェデラリスト(連邦主義者)は、民主主義と距離を置くことを念頭に置いていました。

 当時、英国から移民してきた人々はまだ貧しく教養もなく、生きることで精いっぱいの人も多かった。そのため、ハミルトンやマディソンは彼らの政治的な判断能力に委ねることを避けて、まず州の代表を選び、その州の代表によって連邦議会を開き、それとは別に大統領を置いた。連邦議会、大統領、そして司法に権力を分散させ、非常に手の込んだ間接民主主義を取ったのです。

 要は、トランプの「俺が全てを解決してやる」式のやり方、人民大衆が選んだ大統領が好きに振る舞い、逆に言えば人民大衆の意見をそのままストレートに政治に反映させる民主主義の脆(もろ)さ、恐ろしさを分かっていた。だから、必死に制度で歯止めをかけたのです。

 ところが、1829年に、米英戦争の英雄で熱狂的な大衆人気を誇ったアンドリュー・ジャクソンが、演説会で出し物をするなどして大統領に就任し、米国にポピュラーイズムが定着しました。いわゆるジャクソニアン・デモクラシーですが、それでも、これまではフェデラリストの考えた「慎重な民主主義」と、ジャクソニアン・デモクラシーが拮抗しながら、米国政治は続いてきた。しかし、今回の大統領選では「限界点」を超え、一気にジャクソニアン・デモクラシーに傾斜してしまいました。

■内なるトランプ

 この状況をもたらしたものは何か。私はトランプの野蛮さにあったと見ています。彼の野蛮さとは、「本音を語る」ということです。それは「ポリティカル・コレクトネス(PC、政治的公正さ)って何?」という、一種、身も蓋もない問い掛けだったと言ってもよいでしょう。それが大衆の心を掴んだ。

 少なくない米国国民は、本心では「移民の流入はこれ以上は無理」「『異教徒』を受け入れるのもしんどい」と感じていながら、平等な民主主義、文化的多様性、人権主義を掲げている米国でそれを言えない。言ってみれば「偽善」に覆われたキレイゴトによって、米国内には閉塞感が漂っていました。そこに、本音を言うことを厭(いと)わないトランプが現れた。そして、彼はこう言い放ったのです。

「そんなもの(PC)は全てエリートが作り上げたまやかしに過ぎない」

 この物言いに、ある種の人は共鳴した。それは「自分の中の一部にトランプを抱えた人たち」です。人間の中に潜む野蛮性に彼は火をつけたのです。

 したがって、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズのトランプ批判は逆効果となりました。いずれも「エリート」であり、自由や民主主義や人道主義を掲げてきた当事者だからです。メディアがトランプを難じれば難じるほど、不満を持った米国国民はメディアを敵視し、トランプに傾いていった。

 では、不満を持っている人とは誰か。「普通の人々」です。つまり中間層。彼らはグローバリズム、国際的競争のなかで疲弊し、賃金を低く抑えられ、豊かさを感じることができなかった。一方、ITエリートや金融エリートは巨万の富を得て格差が広がった。中間層は、政府は何もしてくれないと鬱憤を溜め、これをバネにしてトランプは当選しました。だから、今回の結果は別に驚くことではない。こうした「普通の人々」の不満をかきたてれば、票を集めることは決して不思議なことではありません。

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 民主主義が生み出した「トランプ現象」(2)へつづく

特別読物「驚くことはない 民主主義が生み出した『トランプ現象』――佐伯啓思(京都大学名誉教授)」より

佐伯啓思(さえき・けいし)
1949年生まれ。社会思想家。東京大学経済学部卒。保守主義の立場から、経済や民主主義など、さまざまな社会事象を分析。近著に『反・民主主義論』(新潮新書)など著作多数。

週刊新潮 2016年11月24日号掲載

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