「学力テストでトップ級」秋田県は、なぜダメなのか

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■学力神話のウソ(1)

 9月29日、文部科学省が2016年の「全国学力・学習状況調査」の結果を発表した。昨年まで9年連続でトップ級の成績を残してきた秋田県は、小学校の国語Aと算数A・Bで石川県にトップを譲ったものの、小中の全科目で5位以内をキープし、その高学力ぶりを見せつけた。

 かつて最下位クラスの常連だった沖縄県が、2009年から始まった秋田県との教員交流をきっかけに、ついに今年、小学校の全てで全国平均を上回る好成績を出したこともあり、これからも全国の学校関係者による「秋田詣で」は続きそうだ。

 そんな風潮に異を唱えるのが、ベストセラー『里山資本主義』の著者で、地域再生の専門家の藻谷浩介さんだ。「学力テストの点数など、地域に何のメリットももたらしません。教育がそうやって間違った方向にエネルギーを注いでいると、むしろ地域の活力が失われる危険さえあります」と警鐘を鳴らす。

2016年度「全国学力・学習状況調査」

 自身が、山口県の公立高校から東京大学法学部に現役合格した「お受験エリート」でありながら、藻谷さんはなぜ「学力テストの点数に意味はない」と言い切るのか? 

 藻谷さんの近著『和の国富論』(新潮社刊)から、「学級崩壊立て直し請負人」の異名を持つ元小学校教師・菊池省三さんとの対談の一部を再構成してお伝えしよう。

■「学力」と「まともな社会人」

藻谷浩介さん(右)、菊池省三さん(左)

藻谷 菊池先生はNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』をはじめ各メディアで絶賛されていますが、一方で教師一般に対する世間の風当たりは非常に厳しい。どうしてこれほど教師が悪しざまに批判されるようになってしまったんでしょうか?

菊池 うーん、新聞記者の方に聞いたんですが、街角で「最近の経済についてどう思いますか?」と訊くと大抵の人は「いや、ちょっと……」とか逃げていくんだけど、「最近の学校教育についてどう思いますか?」と訊くと100人が100通りの答えをするとか。やっぱり、みんな経験者だから一家言ある。

藻谷 まさに1億総評論家。

菊池 たしかに批判されても仕方がない面もありますけど、それが教師に対してなのか、学校組織に対してなのか、あるいは教育委員会や文部科学省に対してなのかは、もう少し意識して区別して欲しいなとは思います。

 教師に対して、ということであれば、私は30年以上現場で見てきましたが、正直そんなにレベルが下がったとは思っていません。この激変していく家庭や地域の環境の中で、何とか一定の水準を保とうと一生懸命頑張っていると思います。

藻谷 そうですよね。他の分野でもそうですが、若い世代も真面目に熱心にやっています。

菊池 はい。ただ、教師自身が知識注入型の教育を受けてきて、環境が変わった今でもそのやり方を押し通そうと頑張るから、異常に疲労困憊してしまっている面があるような気がします。そこは、もっと文科省や教育委員会の方で音頭を取って方針転換を示して欲しい。でも彼ら自身に昔のやり方を変えなくてはいけないという危機感があまりないもんだから……。

藻谷 つまり、未だに学力テストの点数なんかに拘っている。

菊池 私だってもちろん学力はないよりあった方がいいと思っています。でもそれ以前に、学校という場でさまざまな子たちが関わり合う中で、社会性を身につけていくことが大事です。特に公教育の現場はそこを重視してやっているわけですが、それを文科省や教育委員会がはっきり国民に伝えていないし、保護者の方もそれを受け止めようとしない。

藻谷 つまり「お前らは余計なことをせずに、黙って子どものテストの点数だけ上げてりゃいいんだよ、コノヤロー!」みたいな。そういったモンスター・ペアレントは、「自分の子どもをまともな社会人に育て上げて欲しい」という考えはないんですかね?

菊池 まったくない。あるいは「まともな社会人」の定義が一般常識からあまりにかけ離れている。自分らしさを発揮しながら、他者とも協力して、集団の中で結果を出していける人が「まともな社会人」だということが分かっていない。だから、まずそれを理解してもらおうと説明すると、異常なまでの攻撃が返ってくる。

■学力神話のバカらしさ

藻谷 大阪の橋下市長が、学力テストの点数を上げることが目標だと叫んでいましたが、よく分からなかったのは、学力テストの点数を上げると大阪市に何か良いことがあるんだろうかということ。秋田県は小学生の学力テストの結果が1位ですが、それでどんな良いことがあったのか? 勉強のできる子を都会に出すばかりで、出生率が特に低く、1村を除いて県内の全自治体がいわゆる「消滅可能性都市」とされてしまった。自殺率も全国でもっとも高い県の1つです。もちろん学力テストの結果が高いから、そうなっていると言いたいわけではないですが、少なくとも学力の高さが地域のプラスになっているとはまったく思えない。

菊池 秋田について言えば、子どもの数は減っているのに、学級数は減らさないで、少子化の流れに少しでも抵抗しようとしているそうです。つまり少人数学級になった分、手厚い教育が出来ているという面もある。でも、このままではいずれ財政的に限界が来て破綻するだろうと言われています。

藻谷 一方、ここ北九州市からほど近い筑豊の田川市などは、町の経済状況は良くないですし、おそらく学力テストの結果も厳しいでしょうが、消滅可能性都市とはされていない。子どもがたくさん生まれているからです。

菊池 うーん、確かに子どもはポコポコ生まれていますけど、どうでしょう? 小学生が「オレ、大人になったらセイホ(生活保護)になるけ」って言うんですよ。もし将来彼らがみんな生活保護の受給者になったら、自治体の財政が保てるかどうか。

藻谷 それは……保てませんね。かたや未来を見ずに子どもをポコポコ産んで、こなた変に未来を見過ぎて子どもを産まなくなってしまう。あるいは、妙に勉強が出来たばっかりに、一流企業という名の「時給で考えるとブラック企業」に入ってしまい、深夜までコキ使われ、子どもをつくるどころか恋愛する余裕すらなくしてしまう。

菊池 だから、いずれのタイプに対しても、夢と希望をきっちり見せる教育、自分に自信を持ち、集団に安心を抱けるようになる教育をしたいんです。学力のあるなしだけではなく、その先をどうやって生きていくかという「生きる力」の教育が必要だと考えています。

藻谷 その通りです。僕は前々から「なんでみんなそんなに試験の点数を重視するんだろう?」と不思議に思っていたんですが、最近わかったのは、どうやら「試験の点数が高い人は、生きる力も強い」という信仰があるということ。そんなことは考えたこともなかった私には、目からウロコでした。たしかに、この事実に反する信仰に従えば、今まで教育問題について疑問に思っていたあれこれに、すべて平仄(ひょうそく)が合う。

菊池 学校教育でも、A問題、B問題と言って、基礎的なA問題をしっかりやれば、応用的なB問題も解けるようになると考えてやっていますからね。

藻谷 いや、算数とかはそうだと思うんですが、たとえば「公務員試験でいい点が取れる人がいい役人になれる」とか、さっぱり理解できなかった。でも、そこには「受験力」と「働く力」「生きる力」は似ているんだという信仰があったんですね。でも、もし仮に「生きる力」を測るんだったら、そもそも試験の形式を「個人戦」から「集団戦」に変える必要があるでしょう。

 生きる力というのは、いくら受験勉強を頑張って東大法学部へ進んでも、全く身につかないというのが、私の実感です。同級生を見ていても、少なくとも世間で思われているよりずっと低い確率でしか、出世するだの大儲けをするだのといった、いわゆる社会的な成功を収めていない。

学力神話のウソ(2)へつづく)

藻谷浩介
(株)日本総合研究所調査部主席研究員
1964年、山口県生まれ。東京大学法学部卒。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)、米国コロンビア大学ビジネススクール留学等を経て、現職。地域振興について研究・著作・講演を行う。主な著書・共著に、『デフレの正体』、『里山資本主義』、『藻谷浩介対話集 しなやかな日本列島のつくりかた』、『和の国富論』など。

菊池省三
元小学校教師・「菊池道場」道場長
1959年、愛媛県生まれ。山口大学教育学部卒。北九州市の公立小で独自のコミュニケーション教育を実践する。文部科学省の「『熟議』に基づく教育政策形成の在り方に関する懇談会」委員。主な著書・共著に『甦る教室 学級崩壊立て直し請負人』、『個の確立した集団を育てる ほめ言葉のシャワー決定版』、『菊池省三の学級づくり方程式』など。

2016年9月30日掲載

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