水前寺清子、15億円を寄付した熊本のケアハウスを訪問しないワケ

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 ♪一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩さがる――。「三百六十五歩のマーチ」を歌う水前寺清子(70)も故郷・熊本の大地震では、懸命に慰問活動を続けた一人である。が、そんな彼女が一歩も足を踏み入れなかった場所があった。自らが大金を投じて作ったケアハウスなのに。

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「一切関係がありません」と言われて――

 水前寺公園と熊本藩主・加藤清正から芸名をとったことからも分かるように、水前寺の故郷に対する思いは特別なものがある。裕福な家庭に生まれながら、家業の失敗のため、夜逃げ同然で東京に出てきた彼女にとって、過去にピリオドを打ったといえるのが16年前、市内に建てたケアハウス「水清庵」だ。

 水前寺の夫で事務所の代表を務める小松明氏が言う。

「彼女は故郷に錦を飾るようなことをやりたかったんです。“いろいろあったけれど、熊本に貢献したい”と話してもいた。そんな中でたまたま知り合ったのが、地元で社会福祉法人を運営している理事長でした。我々は素人だったので、寄付をしてケアハウスの運営をお願いすることになったのです。建設費用を捻出するために、東京・世田谷にある土地を売り、現金も3億円ほど出しました」

 水前寺夫妻が寄付したのは合わせて約15億円。それもあって2000年5月、敷地約3万3000平方メートルの「水清庵」が竣工したのである。

「水前寺は名誉施設長の肩書でしたが経営にタッチすることはありません。それでも将来、後援会の人たちが資格を取って水清庵で働くことが出来るようにという夢もありました。それを理事長に伝えると“わしに任せておけ”とも言われたのです」(同)

 それから16年。被災地に援助物資を持って駆け付けた水前寺の訪問リストには、なぜか「水清庵」はなかった。それどころか、施設に電話をしてみると、すでに名称も変わり「うちと水前寺さんは一切関係がありません」と言うではないか。

 あれほど思い入れの強かったケアハウスと水前寺の間に何があったのだろうか。

■毎回違う女性を連れて

 小松氏が言う。

「私たちはもう12~13年も向こうと連絡を取っていません。純粋な気持ちでお金を託したのに騙されたと感じたからです」

 表立って理事長と揉めたわけではないと言う小松氏だが、不信感は澱(おり)のように積もっていた。

「ケアハウスが完成してしばらくするとおかしいと思うことが次々出てきたのです。たとえば、理事長とその弟(元理事長)が敵対して裁判になっていたりする。ある時は、一緒に家族旅行に行くと毎回違う派手な女性を連れて来る。“やめて下さいよ”と注意したこともあります。それからゴルフに行くと理事長はガバガバ酒を飲むのですが、そのまま運転して帰るのです。これにはびっくりしました」(同)

 4年前には架空工事や水道料金のゴマカシなど、20年以上にわたる不正が社会福祉法人で発覚、理事長が解任されるという事態も起きている。だが、肝心のケアハウスは今も理事長の経営する別の病院の関連施設のまま。それもあって、水前寺は慰問を見送ったわけだが、当人に聞くと、

「私としては施設におられる人が楽しく過ごしてくれたら本望ですから……」

 慰問に行けなくても、彼女の残した「足跡」に、きれいな花が咲いていると良いのだが。

「ワイド特集 鉄の女の『金』『銀』『銅』」より

週刊新潮 2016年8月11・18日夏季特大号掲載

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