モデル・秋元梢 仕事をセーブして九重親方の闘病を見守る

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 ウルフが死んだ――。訃報が駆け巡ったのは7月31日のことである。膵臓がん闘病の末、亡くなった九重親方(元横綱・千代の富士)。享年61。次女でモデルの秋元梢(29)ら、家族に見守られての最期だった。

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角界の歴史に大きな足跡を残した

 東京・墨田区にある九重部屋に親方の遺体が戻ってきたのは31日午後8時12分だった。白い布に包まれた遺体が部屋へ運び入れられた後、沈痛な面持ちで取材に応じた佐ノ山親方(元大関・千代大海)は、絞り出すようにこう語った。

「九重親方は本日(午後)5時11分に膵臓がんのため都内の病院でお亡くなりになりました。今日の昼に病院の方に面会に行きまして、その時にはもう眠っていたというか、意識がなく、声をかけても反応はしないような状態でした……」

 九重親方が妻との間にもうけた子どもは、1男2女。7月27日に29歳の誕生日を迎えたばかりの梢は、この日の昼、自らがパーソナリティを務めるラジオ番組に出演した後、

「父親が入院していた東大附属病院に直行し、他の家族とともに最期を看取り、その後は先に部屋に帰ってご遺体の到着を待っていたようです。部屋のほうでやらなければならない準備もあったでしょうしね」(梢の知人)

 7月10日に始まった名古屋場所、親方は4日目の13日まで姿を見せていたが、その後、入院。後援会関係者によると、

「一部、親方とごく近いタニマチなどは入院のことを知っていた。が、あるタニマチが名古屋場所中にお見舞いに行きたいと言ったところ、断られたそうです」

 弱った姿は家族以外には見せない。親方自身がそう決心したに違いない。

■「仕事をセーブ」

 1955年に北海道で生まれた九重親方が初土俵を踏んだのは70年。筋骨隆々の身体と派手な取り口で人気を集め、81年には関脇から大関、横綱まで一気に上り詰めてウルフフィーバーを巻き起こした。さらに、角界で初めて国民栄誉賞に輝いたが、土俵を降りた後はいまいち人望に恵まれず、結局、日本相撲協会の理事長にはなれずじまい。昨年6月、膵臓がんが見つかって手術した時には協会の理事ですらなかった。

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「九重さんは膵臓がんを公表した際、“早期発見だから問題ない”と胸を張っていましたが、実はそうではなく、がんが見つかった時にはすでにかなり進行していたようです。で、その後は抗がん剤治療を拒否し、放射線治療を行っていたと言われています」(同)

 彼の闘病を家族が献身的に支えたことは言うまでもないが、特に梢は、

「九重親方の大のお気に入り。目立つのが好きな親方は、娘の梢さんがモデルとして芸能界で活躍しているのが嬉しかったようです。彼女の存在は親方にとって大きな支えになっていたと思います」(同)

 東大病院に入院した九重親方の容体が悪化したのは、亡くなる1~2週間前のことだった。

「それからは入院先で家族全員が付きっ切りで看病していたのです」

 と、梢の知人(前出)は明かす。

「梢も、父親の容体が悪化してからは仕事をセーブしていました。彼女の家族はみんな仲が良く、結束が固いですから、梢もなるべく父親の元にいようと考えたのだと思います」

 父の死後、梢は自らのツイッターにこう書いた。

〈父の娘に生まれて、幸せです〉

「ワイド特集 鉄の女の『金』『銀』『銅』」より

週刊新潮 2016年8月11・18日夏季特大号掲載

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