バングラ・テロ現場を誌上再現 「実行犯は笑顔で殺害」証言も

国際

  • ブックマーク

Advertisement

 鮮血で真っ赤に染まった店内の白い石畳。折り重なるように倒れている被害者のそばのテーブルに残された赤ワインのグラスと食べかけの料理。実行犯が撮影したとされる写真からは惨劇の凄まじさが伝わってくるが、一体、そこでは何が起こっていたのか。現場で取材したインド人ジャーナリストの証言などを元に、テロの一部始終を再現する。

 ***

ISがネットに流したテロリストの写真

 バングラデシュの首都ダッカの北部。日本大使館やイタリア大使館、アメリカ大使館などが立ち並ぶ高級住宅街・グルシャン地区の一画、湖の近くに悲劇の舞台となったレストラン「ホーリー・アルティザン・ベーカリー」はある。

〈このレストランはバングラデシュの首都でも外交的な場所であり、美しい芝生の庭もある。人口1億6000万人のこの国で唯一サワードウ(天然酵母)のパンとギリシャヨーグルトが手に入る場所だ〉(ワシントン・ポスト)

 7月2日朝、重武装した治安部隊がレストランを取り囲んでいた。人質奪還作戦が実行に移され、治安部隊が店内に突入したのは午前7時40分。作戦が終了したのは8時30分だった。結果、テロリスト7人のうち6人が殺害され、1人を逮捕。日本人1人を含む13人の人質が救出されたが、日本人7人を含む20人の遺体が残された現場は血の海になっていた――。

 テロリストがメインゲートから店内に侵入したのは、治安部隊の突入作戦が終了する約12時間前、7月1日午後8時45分頃である。店にいたのは日本人のグループの他、イタリア人のグループや、娘の13歳の誕生日を祝うために訪れていたバングラデシュ人の家族など。客と従業員を合わせて50人ほどが店内にいた。

 7人のテロリストは10代から20代のバングラデシュ人男性で、

「アラー・アクバル!(神は偉大なり)」

 店に侵入する際に彼らが発したそんな叫び声が号砲となり、凄惨なテロがスタートしたのである。人質になったものの後に無事に救出された店の従業員、警備員などに取材したインド人ジャーナリストのシャイク・ラーマン氏が語る。

「警備員によると、テロリストはマイクロバスで店まで来たそうです。しかも、そのマイクロバスは1台の車の後を追うようにして店の前までやって来て、その車には日本人が乗っていた、と話しています」

■恐怖で震えていた

テロの現場のレストラン

 店の従業員がラーマン氏に証言したところによると、テロが起こる前、店の1階、メインホールの外にあるテラス席に日本人のグループがいて、別の日本人グループが到着するのを待っていたという。そして、両グループが合流した直後に事件が起こったというのだ。

「店に侵入した数分後、2人のテロリストはいきなりイタリア人に向けて発砲を始めた。この時の銃撃でイタリア人グループの数人か、全員が死んだと思われる。その後、数人のテロリストが日本人グループに対して、メインホールに入るよう命じた。日本人は全員憔悴していた」(同)

 メインホールに入る際、日本人の1人が、「私は日本人だ。撃たないでくれ」とテロリストに言ったが、

「メインホールの椅子に座らされた日本人は皆恐怖で震えていた。全員、頭を下げていた。メインホールの様子は悲惨だった」

 と、ラーマン氏が続ける。

「テロリストはすでに死んでいると分かっている人にナイフで切りつけていた。あるイタリア人の首を切ろうとしていたが、ナイフの鋭さが足らず、首を落とすことはできなかった」

 イタリア人の遺体があり、日本人グループが座っている場所から少し離れたところに、10人ほどのバングラデシュ人が集められていた。テロリストは異教徒を見分けるためか、客の一部にコーランの暗誦を命じ、「バングラデシュ人に危害を加えるつもりはない」と話した。

「店の従業員のうち何人かは2階のトイレにこもっていたといいますが、テロリストが店に侵入してから20分が経った頃、1階から20発ほどの銃声が聞こえた。その2、3分の間に日本人7人が一気に殺されたようです」(同)

 店の近所のマンションに住むアロンギ氏もこう語る。

「家のベランダから、3人の外国人が銃で撃たれた後にナイフで首を掻っ切られるのを見た。首からは血が噴き出ていた。殺している彼らは笑顔を浮かべていた。『バチャオ!』(ベンガル語で助けての意)とか、『ヘルプ!』って大きな声が聞こえてきた」

 テロリストたちは店に侵入してから20~30分程度で殺戮を終えていた。ならば、治安部隊が突入するまでの間、彼らは店内で何をしていたのか。

「1日から2日に日付が変わる頃、テロリストはシェフにエビと魚で料理を作って欲しいと頼んだ。シェフや従業員は彼らと一緒に食事をした。彼らは、朝になれば殉教者になれる、ジハードを遂行したので天国に行ける、と話していた。治安部隊が店に突入した際、彼らは死ぬ覚悟が出来ていたので撃ち返さなかった」(先のラーマン氏)

 殺戮行為こそが天国への切符。そう信じ込んでいる男たちに対しては、どのような懇願も意味をなさなかったに違いない。

「特集 彼の地で汗をかいた邦人7人の悲劇 『私は日本人だ』を一顧だにしない『バングラ・テロ』」より

週刊新潮 2016年7月14日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。