総理を目指す「甘利氏」が飛びついた“千葉に後援会を作る”というエサ〈「甘利大臣」をハメた情報源の正体(2)〉

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「週刊文春」による甘利明元経済再生相(66)の金銭授受報道の発端は、“「S」社”こと薩摩興行の総務担当者・一色武氏(62)の告発だった。「膨大な録音データを用意」「賄賂として渡す現金は事前にコピー」「秘書へ現金を手渡す現場を文春のカメラマンに撮影させる」と、素人離れした仕掛けを行った一色氏には、元右翼団体構成員の経歴があった。そんな一色氏が、土地トラブルを巡るURとの交渉にあたり、目をつけたのが現役閣僚だった甘利氏。「国際人権教育推進センター副理事長」の名刺で、甘利氏の信用を得ようとしたこともあった。

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 結局、別ルートを使って、甘利事務所に接触を図ったわけだが、

「一色さんは、当初、甘利さん側に『後援会を作る』と言って接近したそうです。将来、総理を目指している甘利さんは、全国に後援会組織を作り、広く浅くカネ集めをしたい。千葉に新しく後援会を作ると持ちかけられ、飛びついたのかもしれません」(甘利氏の側近)

 結果として、一色氏は、13年5月、甘利事務所の清島健一秘書を訪ね、URへの口利きを依頼した。清島秘書とは、数カ月前に知人の紹介で知り合ったという。千葉県の財界関係者はこう証言する。

「14年初め、薩摩興業の社長から『甘利さんの後援会幹部で、うちの社員です』と一色さんを紹介されました。しばらくすると、『千葉県甘山会』の発会式の案内が来たのです。この時、甘利さんの後援会は『甘山会』と呼ばれていることを知りました」

 つまり、一色氏は、甘利氏の“後援会幹部”という顔を持っていた。とすれば、甘利事務所の秘書たちも「身内同然」と思っていたかもしれない。甘利氏の秘書が、一色氏から度重なる接待を受け、現金を受け取ったのも、後援者だからこそだったのか。

■拍子抜けの発会式

 千葉県甘山会の発会式が行われたのは14年4月4日のことである。場所は、西船橋にあった「フローラ西船」なるホテルだった。発会式を裏で仕切ったのが一色氏。千葉県甘山会会長には、薩摩興業の社長が就いた。

「当日の出席者は、たった25~26人程。会費は5000円から1万円程度だった。正直言って、拍子抜けしました」

 と、出席者が証言する。

「千葉県甘山会というから、千葉全域から大勢の自民党関係者が集まると思っていました。が、蓋を開けてみたらこれだけ。しかも、自民党関係者は、白井市の市議と県議の二人しかいなかった。残りは、白井市の企業経営者がチラホラ。出席者は、薩摩の社長が声を掛けられる白井市の知り合いばかりだったのです」

 むろん、甘利氏も駆け付け、挨拶をしたという。だが、安倍政権を支える最重要の閣僚の一人である甘利氏のパーティーにしては、あまりにも寂しいものであった。

 その上、このパーティーを巡り一色氏はトラブルを起こしている。地元の警察関係者が語る。

「一色さんは、発会式に白井市長も呼ぼうとした。ところが、市長は欠席した。すると、一色さんは激高し、市役所まで乗り込んで“市長の日程を出せ。情報公開請求だ!”とやったんです。一色さんは、怖い人だという話が広まりました」

 トラブルはこれだけではない。警察関係者が続ける。

「当日、前座のような感じで、AKBもどきのアイドルが10人程、壇上で踊った。で、パーティーが終わると、彼女達は出口で“ありがとうございました”とお客さんに挨拶していた。すると、出席した県議が冗談で“おお、君たちお持ち帰りできるのか?”と言いながら、会場を後にした。この一言が後から問題にされたのです」

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〈「甘利大臣」をハメた情報源の正体(3)〉へ続く

「特集 『甘利大臣』を落とし穴にハメた『怪しすぎる情報源』の正体」より

週刊新潮 2016年2月4日号掲載

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