夫人が語る“野坂昭如のリハビリ生活”――「あら、死んじゃったの?」「生きてますよ」

文芸・マンガ週刊新潮 2015年12月24日号掲載

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 12月9日にこの世を去った野坂昭如さんの妻・暘子(ようこ)さん(74)による手記。連れ添った53年の間には、『アメリカひじき』『火垂るの墓』での直木賞受賞(1967年)や参議院議員への出馬・当選(83年)、大島渚さんを殴る騒動(90年)など、野坂さんらしい、様々な出来事があった。そして2003年5月、野坂さんは自宅で突然倒れ、「心原性脳梗塞」と診断される。以来、夫人と二人三脚でのリハビリが始まった。

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野坂昭如さん

 あとで部屋を掃除していたら、まるで隠していたかのように、簡単に探しにくい布団のすき間から酒瓶がごろごろ。天井裏からも空き瓶が見つかったりしました。それでも彼が立派だったのは、発症してからタバコとお酒をきっぱり止めたことです。私が、

「一杯飲みたいから付き合って」

 と誘っても頑として、

「ぼくはお酒は一滴も頂きません」

 そんなにスパッと止められるのなら、もっと早く決心すればどんなに良かったことか。

 それまで、飲み過ぎて体調を崩し、病院に短期入院したこともあったのですが、目を離すと病院から逃げ出したり、退院してからも書斎に籠っているかと思ったら、ふと視界に姿が入る。見つかるまいと匍匐(ほふく)前進で私の前を横切り、窓から逃げ出してまたお酒を飲みに行ってしまうのです。

 本人としては“しめしめ誰にも気づかれずに逃げ果(おお)せた”と、ゲームみたいにスリルを楽しんでいたのでしょうが、私は全部お見通し。そんなことをしょっちゅう繰り返していました。

■我慢、我慢と……

 リハビリは週に2回、病院で続けており、さらにそこで使う器具と同じものを自宅に揃えて励んでいました。元々キックボクシングやラグビーをやっていたから筋肉は柔らかく、庭にサンドバッグを置いて蹴ったりと、熱心に取り組んでいたのです。

 介護は12年半に及びました。最近では、

「全部あなたに掛かりきりで、私の時間はどこに行っちゃったのかしら。ちょっと返して下さる?」

 なんて意地悪な言葉を投げたりしていたのですが、本人は、都合の悪いことは聞こえないふりをするのです。だから私も冗談で、

「あら、死んじゃったの?」

 それでようやく、聞こえるくらいの小さな声で、

「生きてますよ」

 と返事をしてくれるのでした。

 倒れて以来、これまでペンを握って万物を描き続けてきた右手が、動かなくなってしまいました。大好きなスポーツもスムーズにできなくなり、何より、あれだけ弁が立ち、人前で言いたいことを言い続けて議論していたのに、うまく喋ることも叶わなくなった。

 それなのに野坂は、ついに死ぬまで、ひと言も文句や不平不満を口に出しませんでした。どれだけ苦しかっただろうと思います。ずっと我慢、我慢と自分に言い聞かせてきたのでしょうね。

「特別手記 四畳半裁判 田中角栄 大島渚殴打……私と『野坂昭如』 波乱万丈なる二人三脚――野坂暘子」より